1930年代に入ってからは、ソヴィエトへの共感を口にし始め、共産主義的傾向を強める。しかし1936年、ソビエト連邦作家同盟の招待を受け、重体であったマクシム・ゴーリキーを見舞うために同国を訪れたジッドは、約2ヶ月間の滞在ののち『ソヴィエト紀行
(フランス語版)』でソ連の実態を明らかにしてスターリン体制に反対する姿勢を鮮明にし、左派から猛批判を受ける。ジッドは翌年の『ソヴィエト紀行修正』(1937年)で前著に対する批判には反論している。『ソヴィエト紀行』は10万部以上を売上げ、ソ連批判の書物としては最大の売り上げとなる。その後は反ナチ・反ファシズムを貫き、第二次大戦前には反戦・反ファシズム世界青年会議名誉議長を務めた。1938年、マドレーヌが亡くなると深い孤独感に陥り、『今や彼女は汝の中にあり』を書く。1939年、戦禍を避けチュニスに移住。北アフリカを点々としていたが、1945年にパリに戻る。
1945年にゲーテ賞授与。1947年にオックスフォード大学から名誉博士号、同年ノーベル文学賞受賞。
1951年パリの自宅にて肺充血により死去。その著作は死後、ローマ教皇庁により、禁書に指定された。 日本では、和気津次郎による紹介を皮きりに、堀口大學、山内義雄などの手によって知られるようになった。小説家・石川淳による批評文もあり、石川はジッドの小説を翻訳してもいる。また、ジッドの著作は当時の文人たちに多大な影響を与えた。例えば横光利一の純粋小説論はジッドの『贋金つくり』が影響していると言われている。
影響
作品リスト
詩・小説・戯曲等
『アンドレ・ワルテルの手記』Les Cahiers d'Andre Walter, 1891年
『アンドレ・ワルテルの詩』Les Poesies d'Andre Walter, 1892年(詩集)
『ユリアンの旅』Le Voyage d'Urien, 1893年
『愛の試み』La Tentative amoureuse, 1893年
『パリュード』Paludes, 1895年
『地の糧』Les Nourritures terrestres
Feuilles de route 1895-1896, 1897年
『鎖を解かれたプロメテ』Le Promethee mal enchaine