アントニオ・サンテリア
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木や石や漆喰を排し、鉄筋コンクリートと鋼鉄と硝子とより成り、極めて軽くかつ弾性に富んだものでなければならない、かくの如き未来派の建築は実用的と功利的との無味乾燥な結合でない代りに、美術的な総合的な、そうして意味の深遠なものたるべきである」[3]
その後

サンテリアとともに「新都市」を制作したキアットーネが未来派の運動に関わったのはわずかな期間で、1918年には故郷のスイスに帰り、新古典主義に回帰した
[4]

コモの戦没者記念碑(慰霊碑)は、サンテリアのスケッチを転用したもので、ジュゼッペ・テラーニとエンリコ・プランポリーニによって1933年に建てられた[5]

注釈^ ペブスナー、小野二郎訳『モダン・デザインの源泉』(1976年、美術出版社)p198
^ 阿部公正訳『世界建築宣言文集』(1970年、彰国社)p35。
^後藤慶二氏遺稿』(1925年)p110[1]。初出は『建築』200号(1916年7月)。
^ ティズダル他『未来派』(パルコ出版 1992年)p204。
^ 日本建築学会『近代建築史図集』p39。

外部リンク

Antonio Sant'Elia ⇒
[2]

関連項目

トニー・ガルニエ(1869年-1948年) - フランスの建築家。「工業都市」の都市計画案を発表。後にリヨンの都市計画に従事。

未来派

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