1914年8月に第一次世界大戦が勃発するとサランドラはイタリアは出兵しないと宣言し三国同盟は防衛的な立場に過ぎず、オーストリア=ハンガリー帝国は侵略者であると主張した。サランドラはイタリアがどちら側に参戦するかについての決断をし、連合国側への参戦を決断した。こうして1915年5月23日にイタリアはオーストリア=ハンガリーに対して宣戦布告をした[3]。第一次世界大戦後、サランドラはさらに右傾化し1922年のムッソリーニの政権獲得を支持した。その後、サランドラは1931年12月9日にローマで死去した。
脚注^ (イタリア語) ⇒Salandra, Antonio, Enciclopedia Treccani
^ Clark, Modern Italy: 1871 to the present, p. 217
^ Clark, Modern Italy: 1871 to the present, p. 219