アントニオ・グテーレス
[Wikipedia|▼Menu]
こうしてグテーレスは年明けの2017年1月1日に事務総長に就任した[9][10]。グテーレスは首相経験者としては初の事務総長であり[2]、また国連創設後に生まれた初の事務総長でもある。詳細は「2016年の国際連合事務総長の選出」を参照

グテーレスは就任後初の声明で「新年に皆さんも私と決意を共有していただきたい。平和を第一にすると心に決めよう」と呼び掛けた[11]

2021年6月8日に開催された国連安全保障理事会の非公開会合において、グテーレスを事務総長として推薦する決議案を全会一致で採択[12]。総会は18日にグテーレスの2期目の続投を採決した[13]。詳細は「2021年の国際連合事務総長の選出」を参照

2021年6月、アムネスティ・インターナショナルの事務局長であるアニエス・カラマール(英語版)は、BBCの取材に、「中国政府による新疆でのウイグル人弾圧に対して、グテーレスは責任を果たしていない」と批判している[14]

2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナに侵攻では、開戦前日に開催された緊迫するウクライナ情勢をめぐる安全保障理事会において、グテーレスは涙ながらロシアのプーチン大統領に侵攻を止めるように訴えたが、10分後にロシアは侵攻を宣言した[15][16]。4月26日、ロシアとウクライナとの仲介のためモスクワを訪問し、プーチン大統領と会談[17]。国連は会談後、マリウポリアゾフスタリ製鉄所内にとどまる多数の市民の退避について、国連と赤十字国際委員会が関与することでプーチン大統領と原則合意したとする声明を発表した[18]。4月28日、虐殺が行われたウクライナのボロディアンカブチャ、イルピンを訪問し、キエフでゼレンスキー大統領、ドミトロ・クレーバ外相と会談した[19]。ウクライナの穀物輸出を再開させる黒海穀物イニシアティブの合意にも尽力した。なお、米国はグテーレスを諜報対象にしており、「ロシアに甘すぎる」とする報告書が流出した[20]

2023の年9月の国連総会では、国連改革の必要性を主張。「世界は変わったのに、われわれの組織は変わっていない」と述べた。また、同年夏の平均気温が観測史上最高だったことに触れ、「全ての指導者が暑さを実感したのか疑問だ」と気候変動対策の不十分さに不満を示した[21]。詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻」を参照

2023年10月から始まったパレスチナ・イスラエル戦争では、先に大規模攻撃を仕掛けたハマスを非難しつつ、ガザ地区を封鎖するとしたイスラエルに対して国際人道法違反であると指摘した。また、ハマスの攻撃について、「何もない状況で急に起こったわけではない」「パレスチナの人々は56年間、息のつまる占領下に置かれてきた。自分たちの土地を入植によって少しずつ失い、暴力に苦しんできた。経済は抑圧されてきた。人々は家を追われ、破壊されてきた。そうした苦境を政治的に解決することへの希望は消えつつある」と述べた[22][23]。イスラエルは猛反発し、同国国連大使は辞任を要求した。12月6日、グテーレスは正式に安全保障理事会に書簡を送付し、包囲されたガザの「人道的大惨事の回避」を求めた。これは国連憲章の第99条に基づくものであり、これは就任後初、歴史的にも1971年の第三次印パ戦争に関するもの以来52年ぶりの大事であった[24]。ただし、この決議は米国の拒否権行使により否決された(15か国中13か国賛成、1か国棄権、1か国反対)[25]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

演説中のグテーレス(2012年8月24日)

ウィーン国際センターにて(2019年5月27日)

ドイツのアンゲラ・メルケル首相、米国のマイク・ポンペオ国務長官と(2020年1月19日)

プーチン大統領とモスクワで会談(2022年4月26日)

ゼレンスキー大統領、クレーバ外相と(2022年4月28日)

人物

1972年にルイーザ・アメーリア・ギマリャンイス・エ・メロと結婚。ペドロ・ギマリャンイス・エ・メロ・グテーレス(1977年生)とマリアナ・ギマリャンイス・エ・メロ・デ・オリヴェイラ・グテーレス(1985年生)の1男1女を儲けたものの、ルイーザは1998年1月28日に、ロンドンの王立自由病院で癌のため早世した。

2001年にはカタリナ・マルケス・デ・アルメイダ・ヴァス・ピントと再婚した。カタリナには前夫との間フランシスコ・ヴァス・ピント・ダ・コスタ・ラモスという連れ子がいる。

母語であるポルトガル語のほか、英語フランス語スペイン語に堪能。趣味は歴史と地理の研究で、特に世界史に精通している。またオペラを愛し、スポーツではサッカーを好む[5]
栄典・顕彰
勲章

自由勲章大十字(ポルトガル、2016年2月2日)[26]

イザベラ・カトリック女王勲章頸飾(スペイン、2002年6月14日)[27]

キリスト勲章大十字(ポルトガル、2002年6月9日)[26]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef