アンディ・ウォーホル
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財団はウォーホル作品の著作権を元にさまざまな企業とコラボを行って財源を確保し[6]、視覚芸術研究や芸術家などへの支援と助成を行っている[7]

1991年9月、スロバキア共和国文化省とアンディ・ウォーホル美術財団は、両親の出身地である東部スロバキアのプレショウ県ストロプコウ郡ミコヴァー村から南東4キロの同郡メジラボルツェ市に「アンディ・ウォーホル現代美術館」(Muzeum moderneho umenia Andyho Warhola)を開館した[8]。社会主義時代の1970年代からアンディ・ウォーホルの作品に強い関心を持っていたメジラボルツェ市の民族工芸学校教師の調べにより、両親がミコヴァー村出身で、村には親戚もいることが判明。これを受けてアンディが没した1987年に2番目の兄、ジョン・ウォーホラ(2010年没)がミコヴァー村を訪れたことが発端となり、民主化後に実現した。旧郵便局施設を改装した建物[8]には作品160点を常設展示。一家の由来に関する史料も展示されている。2001年以降はプレショウ県政府が運営している。

また人口わずか約150人の小村であるミコヴァー村では、ルシン人文化行事として1992年から民間主催の民族音楽・ロック音楽イベント「アンディ・ウォーホル記念ミコウスキー・フェスティバル」が毎年夏に開催されている。村域の出入口標識近くには、表にアンディ・ウォーホルの肖像画をあしらった「ようこそアンディ・ウォーホルの両親の一族ミコヴァー村へ」(Vita vas obec Mikova, rodisko rodi?ov Andy Worhola)、裏にキャンベルスープ缶の絵をあしらった「さようなら、アンディ・ウォーホルの両親の一族より」(Dovidenia v rodisku rodi?ov Andy Worhola)という手描きの看板が設けられている。

アンディ・ウォーホル本人の出身地である米ペンシルベニア州ピッツバーグ市には1994年5月、「アンディ・ウォーホル美術館」(The Andy Warhol Museum)が開館した[9]。カーネギー財団とアンディ・ウォーホル美術財団などが、産業用倉庫として使われていたノース・ショア地区の7階建てのビルを改装して開いたもので、ピッツバーグ市内の「カーネギー美術4館」の1つ。絵画や印刷作品のほか、映像作品なども合わせ1万点以上の作品を所蔵していて、1人の芸術家に特化した美術館としてはアメリカ最大である[9]。美術館は2013年、分館を2017年にニューヨークに開設すると発表したが、計画は2015年になって中止された。
その他

アンディ・ウォーホルの作品は死後も高く評価され続けており、オークションなどでは1億ドル以上の高値で取引されることさえある[10]

2013年11月には彼のシルクスクリーン作品である「銀色の車の事故(二重の災禍)(英語版)」がサザビーズで競売にかけられ1億544万ドルで落札され、彼の作品では落札最高値、美術品競売全体でも当時で4位の高値となった[11]

2022年5月9日には、シルクスクリーン作品「ショット・セージブルー・マリリン」がクリスティーズで競売にかけられ1億9500万ドルで落札され、最高価格を更新した。美術品オークション全体では史上2位の高値であった。この作品は、ウォーホルがマリリン・モンローのシルクスクリーン作品4枚を壁に立てかけておいたところを、知人がいたずらで銃弾で撃ち抜いて穴をあけたことで「ショット・マリリン」と呼ばれることになったものの1枚である[12]

それにさかのぼる2011年1月11日には、デニス・ホッパーが銃弾を2発を撃ち込んで穴を開けた毛沢東の肖像画がクリスティーズで競売にかけられ30万2500ドルで落札されている。壁に掛かっていた肖像画が、毛沢東によく似ていることをデニス・ホッパーが気味悪がり、銃で撃ってしまったといわれている。後日、デニス・ホッパーが製作者のアンディ・ウォーホルにこの絵を見せ、2人の共同制作となったことで知られる[13]

晩年にはコンピュータアートにも興味を持ち、2014年フロッピーディスクに残されていた未発表のデジタル作品28点が発見された[14]。また、自分自身のロボットをも制作させていた。シャイで人前に出るのを好まなかったため、ロボットに代わりを務めさせたかったと言われている。1960年代には、大学でのウォーホルの映画上映会に出向いて質疑応答に応えるのを嫌がり、友人をウォーホルに変装させて代わりに送っていた。
日本語書籍
著作、伝記研究


『ウォーホル日記』 パット・ハケット編、
中原佑介野中邦子
文藝春秋、1995年/文春文庫(新編・上下)、1997年。口述筆記による晩年の日記

アンディ・ウォーホル『ぼくの哲学』 落石八月月訳、新潮社、1998年8月/新潮文庫、2024年5月

『ポッピズム ウォーホルの60年代』 ウォーホル/パット・ハケット共著、高島平吾訳、リブロポート、1992年/文遊社、2011年

『アンディ・ウォーホルのヘビのおはなし』 野中邦子訳、河出書房新社、2017年、新版2021年。創作絵本

『アンディ・ウォーホル とらわれない言葉』 アンディ・ウォーホル美術財団編/夏目大訳、青志社、2010年、新版2022年

『さよなら、アンディ ウォーホルの60年代』 ウルトラ・ヴァイオレット
入江直之・金子由美訳、平凡社〈20世紀メモリアル〉、1990年

『アンディ・ウォーホル 1964-1967』 ナット・フィンケルスタイン、金井詩延訳、マガジンハウス、1994年

『伝記ウォーホル パーティのあとの孤独』 フレッド・ローレンス・ガイルズ、野中邦子訳、文藝春秋、1996年

『ウォーホル 岩波世界の巨匠』 エリック・シェーンズ、水沢勉訳、岩波書店、1996年

ユリイカ 詩と批評?特集 アンディ・ウォーホル』1990年9月号、青土社

『ウォーホルの世界』 美術出版社、1990年1月。金坂健二篠山紀信ほか

『ウォーホルの芸術?20世紀を映した鏡』 宮下規久朗光文社新書、2010年


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