アンダルシア州
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そのほかにおもな都市には、アルヘシラス(カディス県)、アンテケーラロンダ(マラガ県)、ウベダバエサ(ハエン県)がある。

また、セビリア県、カディス県、ウエルバ県、コルドバ県をアンダルシア・オクシデンタル(西アンダルシア)、グラナダ県、マラガ県、ハエン県、アルメリア県をアンダルシア・オリエンタル(東アンダルシア)と東西に分ける場合がある。
観光と世界遺産

アンダルシア州にはイスラム支配期の文化を伝える史跡が数多く残り、観光名所となっている。グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータメディナ・アサーラ、セビリャの黄金の塔やヒラルダの塔などがある。

また、アンダルシア州は至るところにひまわり畑が広がっており、特にカルモナは、広大な作付け面積を有している。

マラガ県の地中海沿岸コスタ・デル・ソルは一大リゾート地となっており、イギリスやドイツなどヨーロッパ北部から多くの観光客を集めている。

アンダルシア州でユネスコの世界遺産に登録されている物件には次のものがある。

コルドバ歴史地区

グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン

セビリア大聖堂アルカサル、インディアス古文書館

ドニャーナ国立公園

ウベダとバエサのルネサンス建築

アンダルシア人の帰属意識とナショナリズム

アンダルシア人

アンダルシア・ナショナリズム(英語版)

文化

アンダルシア料理は、魚介類とデザート、世界的に有名なシェリー酒で知られている。

アンダルシアは、フラメンコ音楽と闘牛の発祥の地である。

1970年代、アンダルシア州の出身でフラメンコをベースにしたロック・バンドであるトリアーナがスペインの軽音楽を一世風靡し、その音楽の影響下のロック・バンドが多く世に出てきた。それらのバンドの一派は「アンダルシアン・ロック」と呼ばれている。
祭り

カーニバル?カディスのもの(Carnaval de Cadiz
)が有名。

セマーナ・サンタ(Semana Santa)?各地で行われるが、とくにセビリアのもの(Semana Santa en Sevilla)は有名である。他にはマラガ(Semana Santa en Malaga)、グラナダ(Semana Santa en Granada)のものがよく知られている。

セビリアの春祭り(Feria de Abril)

エル・ロシーオの巡礼

馬祭り

通信とメディア
新聞
他地方同様、各地域に地方紙がある。
テレビ
全国放送である国営TVE、民間放送のAntena3、Tele5のほか、公営TVのカナル・スール(Canal Sur
)がある。カナル・スールは、1989年2月国営放送局TVE、バスク州の公営テレビETB、カタルーニャ州の公営テレビTV3、ガリシア州の公営テレビTVGに次いで、開局放送開始。現在、Canal Sur1、Canal Sur2、またラジオ放送Canal Sur Radioを放送。
ギャラリー

アルハンブラ宮殿

コルドバのメスキータ

ミハスの白い街並み

マルベーリャの海岸

アンダルシアが登場する作品

炎のアンダルシア - 中世カリフ時代のアンダルシアを舞台としたエジプト映画カンヌ国際映画祭、第50回記念特別賞受賞作品。

茄子 アンダルシアの夏 - 高坂希太郎監督によるアニメ映画作品

アンダルシアに憧れて - 日本の歌謡曲

アンダルシア 女神の報復 - 織田裕二主演の日本映画。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 但し、550年代から620年代の約70年間、東ローマ帝国による再支配を受けたことがある(スパニア属州)。アギラ1世アタナギルドの間で生じた内乱の隙を突いてユスティニアヌス1世が征服。アタナギルドの跡を継いだレオヴィギルドはスパニア属州の領土の一つで東ローマ帝国が占領し最大の拠点となっていたコルドバ572年に奪ったが、次代レカレド1世の治世中に東ローマ帝国によって幾つかの都市が奪還された(コルドバは奪還していない)。その後暫くは史料が途絶えるが、レカレド1世の2代後の王ウィテリック、その次代グンデマルも東ローマ帝国と交戦している記録が見られる。レカレド1世の娘婿シセブト王(後妻がレカレド1世の娘、後妻との間にレカレド2世がいる)がカルタゴ・ノヴァを奪って町を破壊、最終的にヘラクレイオス1世が東ローマ・サーサーン戦争(602年 - 628年)やバルカン半島でのスラヴ人との戦いに忙殺されていたことでスパニア属州に援軍を送ることができなかったと思われ、シセブト王の息子レカレド2世を挟んでシセブト王の娘婿(シセブトと前妻の娘テオドラが妻)であるスウィンティラ王(レカレド1世の息子の一人)の時代にイベリア半島の統一がなった。なお、スパニア属州の始まりは551年552年554年など意見が分かれており、属州征服の年も621年624年625年628年629年634年以降など諸説あって、スパニア属州に関する史料の少なさにより確定出来ていない。[5]

出典^ 1918年のアンダルシア主義者大会の標語に基づいたもの。立石博高『スペイン歴史散歩』行路社、2004年、44頁
^ Andaluciaという語のアクセントは後ろから2番目の音節のciにアクセントがある。ciaはiの上にアクセント記号があるので、ciとaは別々の音節となり、iとaは母音接続になり、二重母音とはならない。近年の以下のような書物ではアンダルシーアの表記が採用されている:立石博高編『スペイン・ポルトガル史』(新版世界各国史16)、2000年、山川出版社、ISBN 4634414600;関哲行・立石博高・中塚次郎編『スペイン史1・2』(世界歴史大系)、2008年、山川出版社、ISBN 9784634462045ISBN 9784634462052;原誠他編『クラウン西和辞典』、2005年、三省堂、ISBN 4385122016;寺崎英樹『スペイン語史』、2011年、大学書林、ISBN 9784475016254
^ a b 前掲『スペイン・ポルトガルを知る事典』、26頁
^ 立石 博高 (編著)、塩見 千加子 (編著) (2012). アンダルシアを知るための53章 (エリア・スタディーズ). 明石書店 
^ 関哲行ほか 編 『スペイン史1』山川出版社〈世界歴史大系〉、2008年、44頁、50-51頁
^ “スペイン南東部で記録的豪雨、5人死亡”. AFP (2021年9月14日). 2021年10月23日閲覧。
^ “ ⇒州別県別人口、面積、人口密度統計” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2011年6月24日閲覧。
^ “ ⇒県別自治体別人口統計” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2011年6月24日閲覧。

参考文献

『新訂増補 スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社、2001年、25-26頁

関連項目


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