アンソニー・ホロヴィッツ
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1955年ロンドンパディントンの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、幼少期はアッパーミドルクラスの生活を送る[2][3][4]。子供の頃は太っていたこともあり、良い思いはせず、父の書斎から本を持ってきては読みふけっていた。8歳の時、ミドルセックスハーロウボーディング・スクール、オーリー・ファーム・スクールに送られ、仲間たちに自分が読んだ本の話を聞かせることを楽しんだ[2]。校長先生からよく叩かれたことを思い出しながら、当時を“ひどい時期”だったと振り返る[4][5]。13歳になると、ラグビー校へ入学、書くことの楽しさに出会う[6]

フランケンシュタイン』や『吸血鬼ドラキュラ』を教えてくれた母は、13歳の誕生日に頭蓋骨をプレゼントしてくれたといい、そんな母のことが大好きだった。物書きになりたいと思うようになったのは8歳の時で、書いている時にすごく楽しいと気付いた時だった[2]1977年英文学美術史の学位を取得してヨーク大学を卒業、英文学の成績は下から2番目のクラスだった[7]

あるインタビューでは、H・P・ラヴクラフトの作品に登場する架空の書物『ネクロノミコン』を実在すると思っていたと語っている[8]

父親は元首相のハロルド・ウィルソンら政治家たちや、実業家のエリック・ミラーらと関係があった[9]。破産した父は資産をスイス銀行に移したが、父はアンソニーが22歳の時に癌で亡くなり、一家は資産の行方が分からなくなってしまった[4]

1988年4月15日に、香港でジル・グリーンと結婚し、現在はロンドン市内に暮らしている。妻ジルはアンソニーが脚本を書いているITVの『刑事フォイル』のプロデュースをした。夫妻には2人の息子がおり、1989年に長男ニコラス・マークが、1991年に次男カシアン・ジェームズが生まれている。作品のアイディアやリサーチにも協力してくれ、成功したのは家族のおかげとも思っている。子供を守るチャリティ団体キッドスケープを後援している[10]
作家としてのキャリア
1979年から現在まで

1979年に上梓した処女作"The Sinister Secret of Frederick K Bower" (後に"Enter Frederick K Bower" と改題)は子供向けのユーモアな冒険小説だった[11]1981年に第2作"Misha, the Magician and the Mysterious Amulet" を刊行すると、3作目の執筆のためにパリへ越した[12]1983年、Pentagram シリーズの第1作"The Devil's Door-Bell" を刊行。これは、マーティン・ホプキンスが世界を脅かす古代の魔物と戦うというストーリーだった。その後、1986年までにシリーズの残り3作、"The Night of the Scorpion" (1984) 、"The Silver Citadel" (1986) 、"Day of the Dragon" (1986) が書かれた。1985年、世界中の神話や伝説を子供向けに書いた"Myths and Legends" を刊行。

こういった作品を書きながら、伝説上のキャラクターに興味を持ち、リチャード・カーペンターが脚本を務めたテレビドラマ"Robin of Sherwood" の第3シーズンで5話分のエピソードの脚本を担当した。


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