アンソニー・ホプキンス
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パン屋の一人息子[1]だったが、十代の頃から演じることに興味があった。ウェールズの演劇学校で学んだあと、陸軍に入隊。除隊後に再びロンドンロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アートで演技を学び、舞台俳優としてキャリアをスタートさせた。

舞台で培われた卓越した重厚感、気品と知性溢れる存在感は映画においても遺憾なく発揮され、1968年に映画初出演となった『冬のライオン』では、ピーター・オトゥールキャサリン・ヘプバーンと共に堂々たる演技を見せ、鮮烈なデビューを果たした。

1977年に、リチャード・アッテンボロー監督の『遠すぎた橋』で将校役の一人として出演すると、翌年には同監督の作品である『マジック』に主役として出演し、評価を高める。1980年には、デイヴィッド・リンチ監督作品『エレファント・マン』にドクター役で出演。

1991年に『羊たちの沈黙』で演じたハンニバル・レクター博士役の名演技が高く評価され、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞した。その後も続編である『ハンニバル』、『レッド・ドラゴン』で同じレクター役を演じ、自身にとっては最大の当たり役となった。

その後も、ノーベル文学賞受賞作家のカズオ・イシグロが書いた小説の映画化である『日の名残り』や、オリバー・ストーン監督の『ニクソン』、スティーヴン・スピルバーグ監督の『アミスタッド』等でアカデミー賞にノミネートされ、高い評価を獲得し続ける。

2006年にはゴールデングローブ賞で生涯功労賞にあたるセシル・B・デミル賞を受賞。2019年に『2人のローマ教皇』で22年ぶりのアカデミー助演男優賞候補となり、翌年には『ファーザー』で認知症を患った老人を演じ、二度目のアカデミー主演男優賞を受賞し、同部門における最年長受賞者となった。周囲も本人も予想外の出来事であり、授賞式の当日はウェールズに滞在していた[2]

1990年の『Dylan Thomas: Return Journey』で監督業にも進出しており、以降、1996年に『8月の誘惑』、2007年に『スリップストリーム』を発表している。
演技

「演技というものは絵空事であって、その要素はすべてシナリオの中にある」というのが持論で、どのような役であっても特別にリサーチして演じることはないとされる。これは役柄の徹底的なリサーチに基づいたリアリティを追求するロバート・デ・ニーロなどの俳優主体ともいえる演技スタイル(メソッド演技法)と対極にあるともいえ、デ・ニーロ等のアプローチを批判し「馬鹿げている」と罵ったことでも有名。その持論ゆえ、脚本家の書いた台本(シナリオ)のチェック・暗記は徹底的に行い、その台詞などを忠実に再現した上で撮影の際にはきわめて自然で役柄本人になりきっているかのような卓越した演技力を発揮する。
私生活

3度結婚していて、最初の妻との間に娘が1人いる。イギリスから1987年にコマンダーに、1993年にはナイトに叙勲されており[3]、名実ともに現代を代表する名優の一人となった。

現在はロサンゼルスに住み、2000年にはアメリカの市民権を得ている。

ハンニバル・レクターのイメージに反し、アンソニー本人はベジタリアンである。また、アルコールも飲まない(アルコール依存症のため、断酒した)。

アスペルガー症候群と診断されている[4]。何月何日が何曜日だったかという、日付と曜日を即座に計算できる特技を持つ。
主な出演作品
映画

年題名役名備考日本語吹替
1968
冬のライオン
The Lion in Winterリチャード英国アカデミー賞 助演男優賞ノミネート小林清志TBS版)
石田太郎(ソフト版)
1969鏡の国の戦争
The Looking Glass Warジョン・エイヴリー
1971八点鐘が鳴るとき
When Eight Bells Tollフィリップ・カルバート内海賢二テレビ朝日版)
平林尚三日本テレビ版)
1972戦争と冒険
Young Winstonデビッド・ロイド・ジョージ
1974ジャガーノート
Juggernautジョン・マクロード阪脩
1976エンテベの勝利
Victory at Entebbeイツハク・ラビン
オードリー・ローズ
Audrey Roseエリオット・フーバー田中信夫(TBS版)
遠すぎた橋


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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