アンセム_(小説)
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「未知の森」で暮らし始めて2日目、彼を追ってきた<自由五の三〇〇〇号>が彼の元に現れる。彼らは森で一緒に暮らす。彼らは互いへの愛を表現しようとするが、個人としての愛を表現する言葉が見つからない。

<平等七の二五二一号>と<自由五の三〇〇〇号>は、「語られざる時代」に建てられた一軒家を山の中に見つけ、そこで暮らすことにする。その家の書庫にあった数多くの本を読んでいるうちに、<平等七の二五二一号>は「私」(I)という単語を発見し、<自由五の三〇〇〇号>に教える。個人の概念を再発見した彼らは、本を参考に、自分たちに新しい名前を付ける。<平等七の二五二一号>は「プロメテウス」を名乗り、<自由五の三〇〇〇号>は「ガイア」を名乗る。「プロメテウス」は人類の歴史を語り、人類が個人性を放棄してしまった経緯を不思議に思う。彼は、自分たちが再び個人性を獲得する未来について語る。
執筆および出版の経緯
執筆の経緯

ランドはソビエトロシアに住んでいた十代の頃、『アンセム』を演劇作品として着想した[1]。米国に移住後、ランドはこの作品を書くことを忘れていたが、「サタデー・イブニング・ポスト」(The Saturday Evening Post)誌に掲った未来を舞台にした短編小説[2]を読み、有力誌も空想的な小説を掲載するのを知って、『アンセム』を寄稿してみようと思い立った。ランドは『水源』執筆のための取材を一休みしていた1937年の夏に『アンセム』を執筆した[3]

ランドによる本作品の仮題は『自我』(Ego)だった。レナード・ピーコフ(Leonard Peikoff)は、「(ランドは)この仮題によって、彼女の思想とヒーローたちの中心的な原理、すなわち理性、価値、意志、個人主義を(暗黙のうちに)称揚している」と述べている。ランドはこの仮題はぼんやりとして感情に訴えず、主題を明らかにし過ぎる可能性があると考え、タイトルを『アンセム(賛歌)』に変更した。ピーコフによれば、「ランドの頭の中では、この小説は最初から人間の自我(ego)への頌歌だった。だからこの仮題を『自我』から『頌歌』または『賛歌』に変更し、頌歌が讃える対象は読者に発見してもらうようにすることは、難しくなかった」[4]

『アンセム』との類似性が指摘されている作品として、ランド同様に共産主義ロシアで暮らした経験のある作家エヴゲーニイ・ザミャーチンの1921年の小説『われら』(We)がある。この2作品の類似点は以下である。
秘密の日記ないし記録の形をとった小説である。

人々が名前ではなく番号で呼ばれる。

子供たちが両親から離され国家に育てられる。

集団の意志のために個人主義が廃棄される。

一人の男が一人の女との関係を通じて個人の概念を発見する。

ディストピア的な都市の外に「自由な」場所としての森がある。

主人公が男である。

主人公が地下のトンネルで、人間が自由だった時代への手掛かりを発見する。

この2作品の間には多くの相違もある。たとえば『われら』では科学や技術は衰退しておらず、X線、飛行機、マイクロホンなどが登場する。これに対して『アンセム』では、「大地は平らで太陽はその周囲を回っている」、「瀉血は適切な医療行為である」といったことが人々に信じられている。この2作品の類似性から、ランドはザミャーチンの『われら』から直接影響を受けて『アンセム』のストーリーを考えたのではないかと推測する論者もいた[5][6]。しかし、ランドがザミャーチンから影響を受けたという証拠はほとんどなく、ザミャーチンの『われら』を読んだという証拠さえほとんどない。また、ランドがロシアでの彼女の生活を論じる中で、この作品に言及したことも一度もない[5][7]
出版の経緯

当初ランドは『アンセム』を、雜誌向けの読み切りもしくは連載作品として構想していた。しかし彼女の代理人は、この作品を書籍として出版するように彼女に薦めた。ランドはこの作品の原稿を、アメリカのマクミラン出版社(Macmillan Publishers)とイギリスのカッセル(Cassell)社にほぼ同時に持ち込んだ。どちらの出版社も、ランドの前作『われら生きるもの』を出版していた[8]。レナード・ピーコフ(Leonard Peikoff)によれば、「カッセルはすぐ出版を決めた。〔……〕マクミランは『この著者は社会主義を理解していない』と言って出版を拒否した」[9]。もう1社のアメリカの出版社も出版も拒否し、ランドの代理人は本作品を雜誌向け連載小説として売ろうとしたが、買い手が見つからなかった。カッセル社は、本作品を1938年に英国で出版した[10]

ランドの『水源』がベストセラーになった後、1946年に、ランドの友人のレナード・リード(Leonard Read)とウィリアム・C・マレンドア(William C. Mullendore)が所有するリバタリアニズム指向の零細出版社、パンフラティア社(Pamphleteers, Inc.)が、アメリカで『アンセム』の改訂版を出版した[11]。1938年にカッセルから出版されたオリジナルの英語版は、1966年、当時の米国著作権法で要求されていた出版28年後の更新手続きを著作権者が怠っため、米国における著作権が失効した。1995年には、50周年記念版が出版された。50周年記念版には、カッセル版へのランドの手書きの修正が付録として付けられた。
反響
批評家の反応

アントニー・バウチャー(Anthony Boucher)とJ.フランシス・マッコマス(J. Francis McComas)による1953年のアメリカ版に対する一般読者向けレビューは、好意的なものではなかった。


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