アンジェイ・ワイダ
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1975年には19世紀末のポーランドを舞台に三人の若者の姿を描いた大作『約束の土地(ポーランド語版、英語版)』を発表。第9回モスクワ国際映画祭で金賞(最優秀作品賞)を受賞し、アメリカではアカデミー外国語映画賞にノミネートされた。1977年1950年代に労働英雄となった男の末路を、彼に関する映画を製作しようとする女学生を主人公にして描いた『大理石の男』を発表。ポーランドでは上映禁止処分を受けたが、翌1978年第31回カンヌ国際映画祭でスニークプレビューされ、国際映画批評家連盟賞を受賞した。1930年代のポーランドの田舎を舞台にした1979年の『ヴィルコの娘たち』は翌1980年第52回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。その他、ポーランド映画界で「モラルの不安」と呼ばれる運動が盛んになったこの時期には『麻酔なし』(1978年)や『ザ・コンダクター』(1980年)といった社会批判を暗喩的に描いた作品を製作している。

1981年、『大理石の男』の続編となる『鉄の男』を発表。1980年に起きたグダニスク造船所でのストライキに始まる連帯運動を描き、第34回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。しかし、その反体制的な活動が原因となり、戒厳令布告によってポーランド映画人協会長などの職を追われることになる。1983年、フランスのゴーモン社の出資を元に、ともに国外を舞台にした『ダントン』と『ドイツの恋』を製作。前者はセザール賞監督賞や英国アカデミー賞外国語作品賞ルイ・デリュック賞など様々な賞を受賞した。その後、1986年に『愛の記録』を製作し、ポーランド映画界に復帰した。1987年には京都賞思想・芸術部門を受賞[3]。賞金の4500万円を建設基金として、多額の寄付などをもとに1994年に日本美術技術センター(日本美術技術博物館“マンガ”館)がクラクフに設立された。1988年にはドストエフスキーの『白痴』を原作とした舞台『ナスターシャ』の演出を担当。同作では坂東玉三郎を主演に起用し、1994年には再び玉三郎を主演に映画化も行っている。

1989年に行われた議会選挙では[注釈 1]、新たに新設された上院のスヴァウキ選挙区から「連帯」候補として出馬して当選し[4]1991年まで上院議員を務めた。1996年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。神戸100年映画祭に出席、講演を開催した。

2000年、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績により、第72回アカデミー賞にて名誉賞を受賞。2007年にはカティンの森事件を扱った『カティンの森』を製作した。なお、ワルシャワ旧市街の再建に尽力した義父ヤン・ザフファトヴィッチの功績を取り上げたNHK総合テレビの紀行番組『探検ロマン世界遺産』「よみがえる街 未来への懸け橋?ポーランド・ワルシャワ?」(2007年4月28日放送)には、ザフファトヴィッチの娘である妻のクリスティーナとともにゲスト出演している[注釈 2]。翌2008年第80回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。2009年には『菖蒲』が第59回ベルリン国際映画祭アルフレッド・バウアー賞を受賞した。

2010年12月6日、ポーランドを訪問中のロシアのメドベージェフ大統領から友好勲章を授与された[5]2013年、連帯の指導者から大統領となり、ノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサを描いた『ワレサ 連帯の男』を発表した。

2016年10月9日肺不全により死去[1]、90歳。
作品
映画地下水道』(1957年)の広告灰とダイヤモンド』(1958年)のポスター


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