アンゲラ・メルケル
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米タイム誌の2015年度パーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる[45]

評価

メルケルはドイツの最初の女性首相であり、その容貌から支持者からは親しみを込めて「ムティ(お母さん)」と言われていた[46]

「欧州の病人」と呼ばれるほど東西ドイツ統一の後遺症に苦しんでいたドイツ経済を、奇跡的な復活に導いた。失業率は就任当初の10%から10年間で半減し、高齢化に備えた厳しい財政再建では2014年に財政収支の黒字化に成功した[47]。危機管理能力が高く、EU憲法(リスボン条約)制定、ユーロ危機クリミア危機では、自らは強く主張せずに利害当事者の顔を立てながら妥協点を見いだす交渉の才能を発揮した[48]。朝日新聞は社説で「現実主義と多国間協調の政治姿勢で、ドイツ政治のみならず欧州、ひいては自由主義世界をリードする存在である」と評価している[49]

人権と経済のバランスを重視し、ユーロ圏に緊縮を迫った一方、欧州難民危機では受入れに積極的だった。対中国でも日本では親中とされることも多いが、実際には人権重視の姿勢で臨み、最初の3回の訪中では人権の重要性を説いた。2007年9月にはチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世をベルリンの首相府に招き、会談したことで中国が激怒し、独中関係は半年間断絶した[48]

一方、ビジョンがなく、それが格差拡大やインフラへの公共投資不足、EU改革先延ばしに繋がったという指摘もある[48]
支持率

イラク戦争をめぐって関係が悪化していたアメリカとの関係を修復した外交手腕をはじめ、ギリシャなどへ求めた緊縮策や構造改革についてもドイツ国民の高い支持を受けた[50][51]。しかし、議論を生んだ2015年欧州難民危機や移民対応などで支持率が低迷しだした[3][52]。その後の2020年に欧州でも猛威を振るった新型コロナウイルス感染症COVID-19)対策などの高い評価によって、与党支持率は政権発足当初の水準まで回復した[53]。ところが、2021年に入り、再び新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われると、ワクチン接種の遅れなどもあって与党支持率が政権発足以降最低に落ち込み[32]、緑の党に逆転を許すなどした[33]。もっとも、緑の党は党首の学歴詐称や著作の盗作疑惑で急落した。退任後の選挙は混戦の末、社会民主党に政権交代を許した。21年8月の調査では、「メルケル氏は総じて良い首相だったか」との問いに、実に75%が「良かった」と回答している[48]
批判
緊縮財政を強要

メルケルはユーロ圏緊縮財政政策を要求した。ギリシャやその他南欧諸国への緊縮要求はその典型である。

2015年7月に、トマ・ピケティらがメルケルに公開書簡を出し、ドイツがギリシャに強いる緊縮財政を停止するよう求めた[54]。だがメルケルはピケティらの要請には応じなかった。

メルケルは、失業率25%のギリシャに対して、更なる緊縮財政と500億ユーロ相当のギリシャ国有資産の売却民営化を含めた構造改革をするように命じ、それらの政策は特別なことではないとまで述べた[55]

国際通貨基金は、ギリシャには債務減免が必要だとしていたが、メルケルは応じなかった[56]

連立を組むドイツ社会民主党の党首ジグマール・ガブリエルは、日頃からメルケルに緊縮財政をフランスに押し付けないように助言していた[57]。メルケルがフランスに緊縮財政を強要した結果、極右政党の国民戦線が台頭するようになったと、ガブリエルは述べている[57]

メルケルに限らず、ドイツ国民一般に財政均衡主義の傾向があると言われる。平均的ドイツ人にとって、浪費は罪深いことで債務返済は道徳的義務なのだとされる[58]

ノーベル賞受賞者ポール・クルーグマンは、ドイツは他国にモラルを押し付け、緊縮財政を強要する傾向があると述べる[59]

実際には、11年?13年にはGDP比で4%相当の財政緊縮が実施され、景気が悪化したが、14年以降は景気が回復、拡大する中で、財政収支も改善。構造的収支の改善が全体の財政収支の改善に大きな役割を果たした。懸念された財政緊縮や構造改革によるデフレ圧力は、欧州中央銀行(ECB)の金融緩和によって軽減された。[60]
移民・難民問題

2010年、メルケルはキリスト教民主同盟(CDU)党の若いメンバーの会議で多文化社会はドイツでは完全に失敗したと発言をした。それぞれの集団が「対等な立場で」扱われるべきだという考え方である多文化社会ではなく、移民はドイツの価値観や文化と統合していく必要があるというこの保守的な発言は、移民の規模、イスラム教徒のどの程度のドイツ社会への統合なのか、ドイツ文化への影響について、ドイツ国内で激しい議論が巻き起こった[61]

2015年に起こった2015年欧州難民危機においては紛争や政情が不安定などの理由で北アフリカや中東などから大量の難民が地中海やヨーロッパ南東部を経由してEUへと押し寄せた。当初EU政府はイタリアが単独で行っていた移民船救助作戦(Operation Mare Nostrum)への財政的支出を拒んでいたが、2015年4月の難民を乗せた5隻の船が地中海に沈み1200名の犠牲を出した事で世論が変わり対応を迫られた[62]。大量の難民が財政が厳しいギリシャやマケドニア、イタリアなどに劣悪な環境で滞留するなどし、ドイツはEUの指導的立場にある国としてこの未曾有の人道的危機への対応を迫られた。これに対してメルケルはEU諸国への「必須の連帯メカニズム」として他の危機的な状況に陥っているEU諸国から他の国へ難民を移動させる解決策を支持し、ドイツは110万人近くの難民の受け入れを行った[63][64][65]。これらの対応についてドイツ国内では当初歓迎する雰囲気があったがすぐに雰囲気も消えた。メルケルも同年の年末には難民がEUへやってこないようにトルコと交渉に入り、2016年3月にはEUとトルコとの間で移民の流入抑制について合意した[66]。なお日本国内ではこれらの事情とは別に反移民を主張する側からメルケルへの批判が起こり、難民の子供を揶揄したコンテンツがBBCで批判される事態にも陥った。

アンゲラ・メルケルはドイツで処理も出来ないほどの(多くの)移民難民を歓迎し欧州に流入させておきながら、2016年3月にはドイツが欲しいと思わない移民をEUの他の加盟国が受け入れるべきと主張している[67]

2015年8月メルケルは多くの難民を歓迎しドイツに受け入れる方針を示した。メルケルは「ドイツは助けが必要な人を助けます。他人の尊厳に疑問を投げかける人や、法的・人的助けが求められる状況で援助に前向きでない人などを(ドイツは)容認しません」などと述べ、大規模の難民受け入れに積極的な姿勢を示す[68]。それを聞きつけた難民・移民らが一斉にドイツを目指した。

そして8月下旬ドイツはダブリン規約を停止しシリアからの難民がドイツで難民申請できるようにした[69]。ドイツ国内でも移民に反対する動きはあったが、「右翼の過激派とネオナチヘイト・スピーチをしているのは本当に不愉快です」とメルケルは述べた[69]


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