2015年には100万人を超える難民のドイツへの移入の許可を行った[21]。そして同年12月、通信事業者に対する通信履歴保存義務が再導入された[22]。この件には二度も違憲判決が下っているにもかかわらずである。ドイツは、少なくともヴァイマル共和政時代から電気通信事業にゼネラル・エレクトリックなどのアメリカ資本が大量導入された歴史をもっている。2016年1月にはケルン大晦日集団性暴行事件を受けて、難民の受け入れについて、女性から抗議運動がなされている[21]。
首相4期目首相4期目(2017年)
2017年9月24日に行われた総選挙ではCDU/CSUは246議席を獲得して第1会派を維持したが改選前より議席を減らした。また極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の台頭を許したことから、「2015年の難民受け入れによる結果である」とロイターに報じられた[23]。過半数に届かず連立協議が開始されたが難航したため、メルケル政権は「権勢を落とした」「レームダック化」したとロイターやBBCなどで報道された[24][23]。
2018年3月になってようやくSPDが党員投票を経て再び連立政権に入ることとなり[25]、3月14日に第4次メルケル内閣が発足した[26]。
しかし同年10月14日のバイエルン州10月28日のヘッセン州での州議会議員選挙でCDUは苦戦を強いられ連敗。10月29日にメルケルはCDUの会合にて、首相職を2021年の任期限りで勇退し政界からも引退する意向を表明した[27][28]。
2019年6月18日、ウクライナのゼレンスキー大統領を迎える屋外の式典で発作が起き、30℃近い気温だった為「水分不足だった」とコメントしている[29]。同月28日、大阪市で行われるG20首脳会議に出席のため来日[30]。7月10日にもまた、フィンランドのリンネ首相をベルリンに迎える式典で発作が起きた[29]。
2020年には新型コロナウイルス感染症の流行への対応が評価され、支持率は一転回復。メルケルが科学者であったことが役に立ったとも指摘された[4]。ただ2021年になると与党CDUでメルケルの後継党首となったアルミン・ラシェットが2021年ヨーロッパ洪水の被災地で談笑する姿が批判を浴びたことなどから、与党支持率が過去最低まで下落した[31][32][33]。結果的に同年の総選挙ではCDUは敗北し、メルケルの退任とともに野党に転落することになった。
人物
家族メルケルの夫ヨアヒム・ザウアー
今の夫はフンボルト大学ベルリン教授で量子化学者のヨアヒム・ザウアー。ザウアーは2005年のメルケルの首相就任に際しても公の場に現れなかったため、彼がリヒャルト・ワーグナーを好んでいることにかけて「オペラ座の怪人」(Das Phantom der Oper) とあだ名された。2007年のハイリゲンダム・サミットには姿を現し、首脳伴侶の行事に黒一点参加した。 エカチェリーナ2世を尊敬しており、オフィスに彼女の絵が飾られている。 2006年4月、休暇先で水着に着替えている後ろ姿の写真を撮らされイギリスの大衆紙『ザ・サン』などに掲載された。
尊敬する人物
衣装に関するエピソード