アンガモスの海戦
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以後、ペルー海軍には積極的な洋上活動を行う能力は無くなり、モニター艦水雷兵器による沿岸防御程度しかできなくなった。水雷攻撃で砲艦「コバドンガ」と輸送船「ロア」を沈めるなどの成果はあったものの、1879年11月18日に砲艦「ピルコマヨ」が拿捕され、1880年2月?6月のアリカの戦い(英語版)でモニター艦「マンコ・カパック」が自沈、首都リマの攻防戦では海兵隊が全滅した[4][6]。リマの陥落時にペルー海軍の残存艦船は全て自沈して、その戦いは終わった。

なお、アンガモスの海戦が発生した1879年10月8日は、ペルー海軍の創立(1821年10月8日)と同じ日付であった。現在では、この10月8日は「アンガモス海戦記念日(Dia del Combate de Angamos)」としてペルーの国民の休日となっている[7]
注記アンガモス海戦に参加したチリ装甲艦「ブランコ・エンカラダ」。「アルミランテ・コクレーン」も同型艦。^ Bulnes, Gonzalo, Guerra del Pacifico, Tomo I, Valparaiso:Sociedad Imprenta y Litografia Universo, 1911, p.490. 負傷者のうち8人は後日死亡。英語版(en)によると戦死31人、行方不明4人、捕虜162人となっている(出典不明)。
^ Carvajal Pareja, Meliton, Historia Maritima del Peru, Tomo XI, volumen II, Lima:Instituto de Estudios Historico Maritimos del Peru, 2006, p.551. 英語版(en)によると戦死7人となっている(出典不明)。
^ a bCorrerias del Monitor Huascar - チリ海軍公式より。(2009年7月2日閲覧)
^ a bLa Marina de Guerra en la Republica Siglo XIX - ペルー海軍公式より。(2009年7月2日閲覧)
^ a b cBatalla Naval de Angamos (8 de octubre de 1879) - チリ海軍公式より。(2009年7月2日閲覧)
^Captura de la Canonera "Pilcomayo" (18 de noviembre de 1879) - チリ海軍公式より。(2009年7月2日閲覧)
^ペルーの祝祭日 - ペルー観光公式ホームページより。(2009年6月30日閲覧)

関連項目

太平洋戦争 (1879年-1884年) - イキケの海戦

ワスカル (装甲艦)

外部リンク

Batalla Naval de Angamos (8 de octubre de 1879) - チリ海軍公式ウェブサイトより。(スペイン語)

COMBATE NAVAL DE ANGAMOS - ペルー海軍公式ウェブサイトより。(スペイン語)

典拠管理データベース: 国立図書館

イスラエル

アメリカ


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