アレグザンダー3世_(スコットランド王)
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1255年、アレグザンダーは親政に乗り出し、ジョン・ベイリャルとロバート・ド・ロスを追放した[4]。また、イングランドの内乱に対しては深入りせず、イングランドとの良好な関係の維持に努めた[5]

1261年、父アレグザンダー2世が果たせなかったヘブリディーズ諸島ノルウェーからの奪還に成功し[6](←スコットランド・ノルウェー戦争参照)、1263年には西部のクライド湾でノルウェー王ホーコン4世を討ち破った[7]。3年後の1266年パースで両国は条約を結び、ヘブリディーズ諸島は正式にスコットランド領となった[7]

アレグザンダー3世は1281年から1284年にかけて、次男デイヴィッド、長女マーガレット、長男アレグザンダーを次々と失った。しかも、長男アレグザンダーには子がなかった。王位継承者がいなくなったため、アレグザンダー3世は、1285年10月14日にフランス貴族ドルー家のドルー伯ロベール4世の娘ヨランド・ド・ドルーと結婚した。

しかし、結婚半年後の1286年3月19日エディンバラから王妃のいるキングホーンの離宮へ向かう途中、嵐の中で落馬して死亡した[8]。スコットランド貴族は長女マーガレットとノルウェー王エイリーク2世の一人娘マルグレーテ(マーガレット)をノルウェー宮廷にとどめたまま女王に擁立した。

アレグザンダー3世の時代、イングランドとの関係は良好で、国内は安定し、「黄金時代」と呼ばれるほど国民生活が向上した。
子女

1251年12月26日、イングランド王ヘンリー3世の娘マーガレットと結婚し、2男1女をもうけた。

マーガレット(1261年 - 1283年) - ノルウェー王エイリーク2世と結婚、のちのスコットランド女王マーガレットの母。

アレグザンダー(1264年 - 1284年) - 1282年11月14日にロクスバラでフランドル伯ギーの娘マルグリットと結婚した。

デイヴィッド(1272年 - 1281年)

1285年10月14日、ドルー伯ロベール4世の娘ヨランド・ド・ドルーと結婚したが、アレグザンダーは翌年亡くなり、2人の間に子はなかった。ヨランドは1294年にブルターニュ公アルテュール2世と再婚した。
脚注^ Alexander III king of Scotland Encyclopadia Britannica
^ 森、p. 88
^ 森、pp. 88 - 90
^ 森、p. 89
^ 森、p. 90
^ 森、p. 91
^ a b 森、p. 92
^ 森、p. 96

参考文献

森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年

ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年





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