アレクサンドル・プーシキン
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逸話

決闘によって死ぬ以前、プーシキンは強運の持ち主として知られ、数多くの決闘で、自分は一切撃たず、相手に撃たせ、いずれも弾が外れ、当然の如く笑って済ませていたという逸話がいくつかある[3](死ぬこととなる決闘においても、出血して怒りの形相だったのが、最後の方では周囲に笑っていたとされる)。

逸話1:若い友人と詩の事から喧嘩となり、決闘に至ったが、平然と笑いながらプーシキンは彼が撃つのを待ち、弾はそれた。大声で笑いながら友人の身体を抱いて手を握った。侮辱されたと思った友はしきりに撃てというが、「僕のピストルはね、雪が詰まっちまったんだ」といって笑いながら撃たなかった[3]

逸話2:南ロシア・キシニェフの事。ある参謀将校(『人間の死にかた』の逸話を原文ママ)とバカラ賭博の事で決闘に至った。プーシキンはピストルの代わりに一袋の桜桃を持って立っていた。相手が狙っている間、終始桜桃を頬張り続け、弾が外れると、「どうだ、得心がいったか?」といい、笑いながら立ったままだった[3]

逸話3:有名なピストルの名手(『人間の死にかた』原文ママ)の軍人との決闘話。吹雪の中、夜会でも行くような気持ちで行ったプーシキンだが、この時は、双方とも2発撃った。しかし互いに2発とも外れたとされ、介添に促されて中止になった。水のような彼の冷静さは常に友人達を驚かせた[3]

作品.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ロシア語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。プーシキンの作品

南ロシアにいた時期にはバイロンの影響を受け、「コーカサスの虜」などの詩を作っている。プスコフに移された時期からはシェイクスピアの研究を行い、ボリス・ゴドゥノフ(英語版)などに影響が見て取れる[4]

ルスラーンとリュドミーラ(詩、1820年)

コーカサスの虜(ロシア語版)(詩、1822年)

バフチサライの泉(詩、1824年)

シベリアへ送る詩(1827年) - シベリアへ流された友人オドエーフスキイ公爵にあてた詩

ジプシー(ロシア語版、英語版)(詩、1827年)

ポルタワ(英語版)(詩、1829年)- ポルタヴァの戦い

小悲劇(「けちな騎士(ロシア語版)」、「モーツァルトとサリエリ(ロシア語版)」、「石の客」、「黒死病の時代の饗宴(ロシア語版)」の4篇、1830年)

ボリス・ゴドゥノフ(英語版)(戯曲、1831年)

ベールキン物語(ロシア語版、英語版)(短編集、散文、1831年)

その一発(ロシア語版、フランス語版)

吹雪(ロシア語版、英語版)

葬儀屋(ロシア語版、フランス語版)

駅長(ロシア語版、フランス語版)

百姓令嬢(ロシア語版、フランス語版)


サルタン王の物語(ロシア語版、英語版)(1831年)

金の鶏の物語(ロシア語版、英語版)(1834年)

漁夫と魚の物語(ロシア語版、英語版)(1835年)

エヴゲーニイ・オネーギン(韻文小説、1825年 - 1832年)

青銅の騎士(詩、1833年)

スペードの女王(1833年)

プガチョーフ叛乱史(ロシア語版)(散文、1834年)

大尉の娘(散文、1836年)

ピョートル大帝のエチオピア人(ロシア語版、英語版)(1837年)- 主人公イブラヒムのモデルは、祖父アブラム・ガンニバル

エジプトの夜(ロシア語版)(1837年)

人魚(死後に出版された未完の作で、ダルゴムイシスキーの歌劇《ルサルカ》の原作に成った)

関連作品
オペラ

プーシキンの作品の幾つかは、ロシア・ソ連の作曲家たちによってオペラ化されている。

グリンカ

ルスランとリュドミラ』(1842年)


ダルゴムイシスキー

石の客』(1872年)


キュイ

カフカスの捕虜』(1857-8年)

『黒死病の時代の饗宴』(1900年)


ムソルグスキー

ボリス・ゴドゥノフ』(1874年)


チャイコフスキー

エヴゲーニイ・オネーギン』(1879年)

スペードの女王』(1890年)


リムスキー=コルサコフ

モーツァルトとサリエリ』(1898年)

皇帝サルタンの物語』(1900年)

金鶏』(1909年)


ラフマニノフ

アレコ』(1892年)(原作・物語詩「ジプシー(ロシア語版、英語版)」)

『けちな騎士』(1904年)


コルンドルフ

『黒死病の時代の饗宴』(1972年)

などがある。
管弦楽作品

グバイドゥーリナ

ペスト流行時の酒宴』(2006年)


B・アサフィエフ

バレエ『バフチサライの泉』(1934年)

その他

オネーギンの恋文』 - 『エヴゲーニイ・オネーギン』を映画化。レイフ・ファインズ主演。

ブロンズの天使』 - さいとうちほの漫画。プーシキンの妻ナターリアを主人公に、プーシキン、ダンテス、ナターリアの姉エカテリーナの四角関係を描く。コミックは小学館フラワーコミックスから。全7巻。

「漁夫と魚の物語」は脚色されて「きんいろのさかな」として紙芝居になっている。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ プーシュキン、プシキン、プシュキンとも表記される。
^ 当時の正書法では Александръ Серг?евичъ Пушкинъ と綴られる。

出典^ 栗生沢猛夫 『図説 ロシアの歴史』 河出書房新社、2010年、p.89.
^ 小町文雄 『サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』 中央公論新社、2006年、p.51.
^ a b c d 中野好夫 『人間の死にかた』 新潮選書 9刷1972年 p.222.
^ 「新版 ロシアを知る事典」内「プーシキン」項 平凡社 2004年1月21日発行


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