アレクサンドル・ゴドゥノフ
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しかし15万ドルと噂された年俸が団員の反発を買うなど不穏な再出発となった[3]1982年、出番が少ないことを理由に、ラトビア時代からの盟友であった芸術監督ミハイル・バリシニコフと訣別して退団。同年生き別れとなった妻との離婚が成立した。その後自らのバレエ団を率いてツアーを行っていたが[4]、1985年には俳優に転向した。

俳優としての代表作は『刑事ジョン・ブック/目撃者』、『ダイ・ハード』など。ロシア人役を演ずるのを嫌って多くの出演依頼を断っていたという[5]

1995年5月、ハリウッドの自宅で死亡しているのが発見された。検死では殴打跡や外傷がなく、体内からアルコール分も薬物も検出されなかったため自然死と結論づけられた[6]。このために様々な憶測を呼んだが、その後代理人によって「死因は肝炎を併発した急性アルコール中毒」と発表された[5]。(インターネット上に流出している死亡診断書には、死因欄に慢性アルコール中毒肝炎が記載されている)。45歳。遺灰は太平洋に撒かれた。
動画

ボリショイ・バレエ団 『カルメン組曲』(1978年)
〔YouTube・カルメン役はM・プリセツカヤ

映画出演

『アンナ・カレーニナ』 "Anna Karenina" (1975年)

刑事ジョン・ブック 目撃者』 "Witness" (1985年)

マネー・ピット』 "The Money Pit" (1986年)

ダイ・ハード』 "Die Hard" (1988年)

『ヘルガイバー/魔獣大戦』 (1990年) <未>

『The Runestone』 (1991年)

『ワックスワーク2/失われた時空』 (1992年)

ノース 小さな旅人』 "North" (1994年)

『緊急接近 ZONE』 (1995年)

脚注^ プリセツカヤは自著で次のように記しているという。「アレクサンドル・ゴドゥノフは頑健で誇り高く、背の高い人であった。ゴドゥノフの麦色の髪は北欧人を思わせ、彼が他人には真似できないピルエット(旋回)をするとその髪が風に揺れて輝いたものである。パートナーをサポートするよりも自ら踊ることを得意としていた。礼儀正しく信頼できる人だったが、その勇ましい風貌とは裏腹に、全く無防備な人であった。」 cf. Людмила Зуева, ⇒ "Александр Годунов".
^ 今井博 『モスクワ特派員報告』 岩波新書1985年。また次も参照。 ⇒"Exit Stage Left", TIME, 10 Sep 1979
^"Aleksandr Godunov - Still Unsettled After Defecting, His Future Remains Up in the Air", People, 24 December 1979.
^ 1982年8月5日・6日に牧阿佐美バレヱ団の『白鳥の湖』に客演している。cf. ⇒日本洋舞史年表V - 1982
^ a b"Fall from Grace - Alexander Godunov remembered", EW.com, 19 May 2000。
^ Зуева, op. cit.,

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