アレクサンドル・カレリン
[Wikipedia|▼Menu]
25歳で国内軍の少佐号を授与され、28歳で税務警察局の大佐となり、ロシア・レスリング協会の副会長も兼務[2]

1999年2月21日には、横浜アリーナで開催されたリングスにおいて、前田日明の引退試合の相手を務めた。この試合はカレリン唯一の他流試合(グレコローマン以外の試合)でもある。前田は「首が折れる覚悟をすること3回」「ダンプカーが正面衝突してくるような力だった」と試合を振り返っている[4]

2000年9月26日シドニーオリンピック決勝のオリンピック4連覇を賭けたルーロン・ガードナーとの試合で、自らのクラッチが外れたことによりロストポイントをとられ、これが響いて最終的には判定負け。

その外見に反して言動は紳士的かつ知的であり、レスリング関係者のみならず、広くロシア国民の尊敬の対象となっている。1999年12月からはロシアの連邦下院議員を1期務めた。

学位はロシア国立体育アカデミー博士号。愛読書はアレクサンドル・プーシキンの著書や哲学書。

「カレリン基金社」という会社の社長を務める実業家という一面もあり、その財力は「アラブの石油王」と遜色ない程と言われる[2]

その戦績から「古代オリンピックのレスリングを含めて2000年間の中でナンバーワンのレスラー」[2]と評される。
得意技

カレリンの超人的な強さの象徴として、カレリンズ・リフトという技がある。これはパーテールポジションから相手の胴体をクラッチし、自らの後方、相手の側方に反り投げるという俵返に相当するもので、アマチュアレスリンググレコローマンスタイルではポピュラーな投げ技のひとつである。しかしそれは軽・中量級における話であり、カレリンが出場していた130 kg級では前代未聞の大技だった。カレリンがこの技を使うまでは、130 kg級において相手を俵返で投げるという概念自体が存在しなかったとされている。受ける側は当然ながら頸椎に多大な荷重がかかるため、カレリンにパーテールポジションを奪われた相手がこの技を恐れて、そのままフォール負けを選ぶという場面がしばしば見受けられた[3]

前田日明はカレリンとの対戦前「あれはレスリングのルールだから通用する技。自分は絶対に喰らわない」と自信のほどを語っていたが、実際の試合では2回カレリンズ・リフトを受けてしまった。前田が引退後『リングの魂』で語ったところによれば、カレリンのクラッチはあまりにも人間離れした強固極まるもので(前田曰く「えっ、こんなクラッチあるの?と思った」)、全く抵抗することが出来なかったという。
その他

身長191 cm、体重130 kgの巨漢だったが、非常にバランスが取れた体格を持っていた。これについては前田日明が『リングの魂』内で詳しく語っており、カレリンの体は全身が柔軟かつ重厚な筋肉の塊で「鉄の塊と試合してるみたい」「
競走馬に触ったことがあるんですけど、同じ感じの筋肉」だったという。また、前田は「筋肉のつき方が軽量級の選手と同じなんですよ。ああいう体は持って生まれたものじゃないと、いくら鍛えてもそうならないでしょうね」とも述べている。

1989年、アントニオ猪木が窓口となって新日本プロレスショータ・チョチョシビリサルマン・ハシミコフらを、協栄ボクシングジム勇利アルバチャコフオルズベック・ナザロフらを招聘していった流れの中で、カレリンも新日本プロレスと契約した、とプロレス雑誌に報道されたことがある。当時の報道では、プロ転向という形ではなく、新日にレスリング部門を作り、そこにカレリンが所属する形とされたが、その後、何の動きもなかった。カレリンが日本ではそれほど知名度が高くなく反響が少なかったこと、1989年末には新日内でソ連軍団の価値が下がったことが大きかったが、実際はカレリンの社交辞令を、詳細も詰めずに猪木が過大に発表したことによる。

前田との試合の際に使用した入場曲はオジー・オズボーンの『Perry Mason』。

プロレスラー・格闘家のアレクサンダー大塚は、尊敬するカレリンの名を自らのリングネームに使用している。

出生時の体重が6.8 kgもあった。

脚注^ “五輪3連覇の怪物ミハイン・ロペス「重りを使ったトレーニングは好きじゃない」 ? 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2022年4月23日閲覧。
^ a b c d 公式試合300連勝! 「霊長類最強の男」カレリンが残した最強伝説(1/3ページ) exciteニュース 2016年8月24日 06:02 (2021年7月29日閲覧)
^ a b 公式試合300連勝! 「霊長類最強の男」カレリンが残した最強伝説(2/3ページ) exciteニュース 2016年8月24日 06:02 (2021年7月29日閲覧)
^ 公式試合300連勝! 「霊長類最強の男」カレリンが残した最強伝説(3/3ページ) exciteニュース 2016年8月24日 06:02 (2021年7月29日閲覧)

関連項目

オリンピックのレスリング競技・メダリスト一覧

スポーツ無敗記録一覧

外部リンク

公式サイト



アレクサンドル・カレリン - International Wrestling Database (英語)

アレクサンドル・カレリン - Olympedia(英語)



アレクサンドル・カレリンの戦績 - SHERDOG(英語)










レスリング オリンピックチャンピオン - 男子グレコローマンスーパーヘビー級


1972  アナトリー・ロシチン(英語版) (URS)

1976  アレクサンドル・コルチンスキー(英語版) (URS)

1980  アレクサンドル・コルチンスキー(英語版) (URS)

1984  ジェフ・ブラトニック (USA)

1988  アレクサンドル・カレリン (URS)

1992  アレクサンドル・カレリン (EUN)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef