アレウト族
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アレウトの話す言語エスキモー・アレウト語族に分類され、1989年の旧ソ連による人口統計調査ではアレウト語[5] の話者は487人、1995年には305人であった。
日本との関わり
日本人漂流者との交流

江戸時代後期の1783年(天明3年)1月に、遭難した「神昌丸」(乗組員・大黒屋光太夫ほか)が、同年7月にアリューシャン列島アムチトカ島に漂着し、以後、カムチャッカへ向かうまでの4年間を、そこで過ごしている。そして、その当時の様子が『北槎聞略』に記されている[6]
第二次世界大戦「アッツ島」を参照

第二次世界大戦中1942年6月7日、日本軍はアッツ島を占領していた。アッツ島にはアリュート人が40人あまり暮らす村があった。日本軍はアッツ島を無人化するため、9月にアリュート人の島民を日本本土に移送し、日本での敵国人の抑留政策の一環として、北海道小樽市で収容した。小樽に抑留されたアリュート人は45人(小樽で生まれた5人を含む)、うち20人が抑留中に命を落とし、終戦を迎えられたのは25人であった。戦後アメリカ合衆国はアッツ島民の帰島を認めず、アリューシャン列島アトカ島に移送した。
現代

東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故からの福島県浜通り復興をめざす研究機関[7]である福島ロボットテストフィールド(RTF、福島県南相馬市)は2019年、アメリカ合衆国領セントポール島のアレウト族コミュニティ政府と、ドローン飛行試験での連携協定を結んだ[8]
注釈[脚注の使い方]^ 1989年の旧ソ連最後の統計では702人だった[4]

脚注^ “Aleut alone”. factfinder.census.gov. US Census Bureau. 2020年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月20日閲覧。
^ “ВПН-2010”. gks.ru. 2012年4月24日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2023年1月30日閲覧。
^ L.ベルグ『カムチャツカ発見とベーリング探検』龍吟社、1942年、232頁。 
^ 金子亨『先住民族言語のために』草風館、1999年、78頁。 
^ アリュートル語とは全く別の言語である。
^ 桂川甫周『北槎聞略・大黒屋光太夫ロシア漂流記』亀井高孝校訂、岩波書店(岩波文庫)1993年、27?37頁
^ “浜通り復活のカギ握る ロボットテストフィールド”. 福島: 朝日新聞デジタル. (2019年11月17日). https://www.asahi.com/articles/ASMCG632WMCGUGTB00G.html 2019年12月29日閲覧。 
^ “米国セントポール島アレウト族コミュニティ政府と連携協定を締結しました!”. 公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構 (2019年12月10日). 2019年12月29日閲覧。

 
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、アレウト族に関連するメディアがあります。

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