アルプスの少女ハイジ_(アニメ)
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前出の高橋茂人は、本作品を創るために同社を興したという経緯があり[5]、本作品の制作以前にも、TCJ動画センター(現・エイケン)企画部在籍時に「ハイジ」のパイロット版フィルムを制作したこともあった[注釈 3]

1975年半ばに創業した日本アニメーションは、ズイヨー映像から設備とスタッフを引き継いでいる[注釈 4]ため、実質的な制作現場は共通であるが、公式には本作品を「世界名作劇場」シリーズに含めていない[6]日本コロムビアから発売されている「日本アニメーション」を冠とするコンピレーションアルバムにも本作品からの楽曲は含まれていないが、2004年5月にポニーキャニオンが企画発売した「フジテレビ名作アニメ劇場?主題歌ベスト集」は“フジテレビで放送された名作アニメ主題歌”という括りで、同枠で放送されていた虫プロダクションの「アンデルセン物語」瑞鷹の「山ねずみロッキーチャック」「アルプスの少女ハイジ」と世界名作劇場数作品の主題歌が収録されている。

世界名作劇場の地上波テレビシリーズが終了してから2年が経過した1999年、瑞鷹によって櫻井美智代をキャラクターデザインに起用し頭身を引き上げたリメイク作品「新アルプスの少女『ハイジとクララ』」が企画され、テレホンカードエプソン販売カラリオPM-800Cの卓上カレンダーなどノベルティグッズとしてイラストが披露されたが、アニメ化には至らず、ポピーザぱフォーマーが世に出ることになった[7]

2010年には広島にて、版権窓口のサンクリエートにより8月12日[注釈 5]が「アルプスの少女ハイジの日(ハイジの日)」として制定された[8]
あらすじ

1歳で両親を亡くし、5歳になるまで母方の叔母デーテに育てられたハイジは、デーテの仕事の都合で、アルム(高原放牧地)の山小屋にひとりで住んでいる、父方の実の祖父であるおじいさん(アルムおんじ)に預けられることになる。ヤギ飼いの少年ペーターペーターのおばあさんなどの人々、子ヤギのユキちゃん、おじいさんが飼っている犬のヨーゼフやヤギのシロクマ樅の木を初めとした、大自然に生きる動植物達。厳しくも優しく、懐の深さを感じさせるアルプスの大自然。何より、共に暮らすおじいさんを通じ、ハイジは様々なことを知り、学び、健やかに育っていく。

だが、ハイジが8歳になったある春の日、デーテが再び山を訪れ、ハイジをフランクフルトの貿易商・ゼーゼマン家に連れていくと言う。デーテに騙されフランクフルトへ向かってしまったハイジ。ペーターやペーターのおばあさんは悲痛な声をあげるが、おじいさんにはどうすることも出来なかった。

フランクフルトでハイジを待っていたのは、足が不自由で体の弱い少女・クララとゼーゼマン家の人々であった。執事のロッテンマイヤーはハイジを愛称でなく本名のアーデルハイドと呼び、厳しい躾や勉強を強制し、山暮らしの身ゆえに礼儀作法や行儀が身についておらず何かと騒ぎの火種となる彼女を嫌悪し、厳しく冷たい態度で接する。クララやゼーゼマン(クララの父)、おばあさま(クララの祖母)、クララの主治医、使用人のセバスチャンなど、心の支えはあったものの、ハイジはフランクフルトでの生活に馴染むことができずに懐かしい山での暮らしと親しい人々への思慕を募らせる。更に、ロッテンマイヤーにクララを心配させるなという理由で山の話題を口に出すことはおろか思い出すことすらも禁じられ、辛い胸の内を誰にも打ち明けられないまま心を押し殺すようになっていく。やがてハイジは極度のホームシックと度重なる心労から夢遊病を患ってしまう。ハイジを診断したクララの主治医は、ただちにハイジをアルムへ帰す様に指示する。ハイジとの別れを恐れていたクララは父に説得されたことで自分のわがままがハイジを苦しめていたことを理解し、ハイジの帰郷を受け容れる代わりに来年の春にハイジに会うためにアルプスに行くという約束を交わし、ハイジにも必ず会いに行くと約束を交わして別れた。クララとの別れを悲しみつつ念願の帰郷を果たして懐かしい人々と再会したハイジは、豊かなアルプスの自然の中で徐々に回復していく。

アルムの生活ですっかり元気になったハイジのもとへ、クララからの手紙が届く。クララが父と約束したハイジとの再会のためのアルム行きがなかなか叶わない、早く会いたいという内容だった。過酷な環境にクララが耐えられるかどうかを確かめに来たクララの主治医は、ハイジの必死の説得により山の中の不便な環境の中でクララが意欲を持って過ごすことこそが回復に繋がるのだと悟りクララの訪問を許可する。こうして、ついにクララが山へやってくることになり、ハイジとクララは再会を喜び合う。自然豊かなアルプスでの生活の中で明るさと健康を徐々に取り戻してきたクララは、接近してくる牛に驚いて無意識の内に立ち上がった一件を機に、ハイジとおじいさん、様子を見にやってきていたおばあさまに促され、自分の足で立って歩く練習を始めることを決心するが、バランスを崩して転んでしまったショック、本当に足が治るのかもわからない不安と恐れから弱音を吐いてしまう。ハイジに叱咤されて突き放されたクララは後を追うと必死で立ち上がろうとし、ついに自分自身の意思で立ち上がることに成功する。ハイジ、ペーター、おじいさんは心からクララを祝福し、手紙を受け取って村から様子を見に戻ってきたおばあさまもクララが自分の足で立ち上がる様を見て涙と共に喜んだ。その翌日、滞在を終えてフランクフルトに戻ることになったクララはハイジたちに別れを告げ、来年の春にまた必ず来ることを約束して帰っていった。

クララとの別れからしばらくの後、クララからの手紙を受け取り、彼女が来る日に向けて懸命にリハビリに励んでいることを知ったハイジとペーターは、再会の日を待ちわびながらアルプスの冬の日々を過ごすのだった。
原作との相違点

監督の高畑勲が、原作からの最大の変更点として挙げているのはペーターの扱いである。原作では意志薄弱でハイジに従属する存在として描かれている。スピリ作品の少年少女たちは多くの場合で女性優位の構図が見られるが、本作品において高畑は男性優位の秩序を復活させる試みをしている。

また本作品の制作にあたり、後述の通り原作のキリスト教色も極力排除しているが、全体では尊重しており、原作の宗教性が換骨奪胎され、自然礼賛という新しい宗教性が始まっていると見なされることもできる。ジャン=ミシェル・ヴィスメールによれば、自然礼賛と「神道の伝統」に結びつけたともいい、アニメには「かわいい」という価値観を加えている[9]
排除・変更した細かなエピソード


原作では「信仰の大切さ」が最大のテーマとなっているが、本作品では宗教(キリスト教)色を極力排除してある。

クララのおばあさまは、原作ではハイジに聖書を読むことや毎日のお祈りを推奨するなどしているが、本作品ではこれらの描写はほとんど省略されている。

原作ではハイジもその影響で熱心なキリスト教徒になり、おんじに「神の元」に回帰することを勧める。おんじも遂に涙を流して神に対して過去を悔い改め、村人とも和解する。おんじの多くの不幸は神と対立したことが原因と作中では結論付けられている。対して本作品では、「ハイジの存在」こそがおんじの変化の最大の理由として描写されている。

原作ではフランクフルトでハイジがいくら神に「山に帰りたい」という願いをしても、それが叶えられないことを理由にお祈りを中止するエピソードがあり、クララのおばあさまが、神は「ハイジを今すぐ山に帰すよりも、しばらくフランクフルトに滞在させたあとで山に帰すほうが、ハイジにとってずっと良い」と考えているからと諭して信仰の継続を約束させ、結果的にすべてがその通りになる。このくだりも本作品ではほぼ排除されている。


原作では終盤に、ペーターにとって山で唯一の友人であるハイジが、クララの滞在中はペーターと山の牧場に行く時間がなくなったために、「クララはハイジを自分から奪った」と考えたペーターが、クララをフランクフルトに帰すことを企んで車椅子を壊している。本作品でも車椅子が壊れるエピソードは存在するが、「ペーターはそんなことをしない」と高畑勲氏の指摘があり、練習中に転んだ時の恐怖心から再び車椅子に頼ろうと考えたクララが車椅子を外に出そうとした拍子に誤って壊す」という展開に改変されている[10]

原作にあるお医者さまとの同居のエピソードも本作品ではカットされ、お医者様がおんじ亡き後にハイジの後見人になることを、おんじに約束するなどのエピソードも、本作品では直接的な表現を避けている。

原作ではセバスチャンが執事で、ロッテンマイヤーはその下の家政婦長であるが、本作品ではロッテンマイヤーが執事で、セバスチャンは使用人の一人となっている。

原作ではアルムの山にロッテンマイヤーがクララと一緒に付いて行かず、代わりにクララのおばあさまが最初から付いてくる。ロッテンマイヤーは現地事前調査を行ったセバスチャンから「山はケダモノだらけ」と脅されたために行かなかったことになっている。本作品では当初ロッテンマイヤーが同行し、途中でおばあさまと交代する。

原作ではクララたちがアルムの山に訪ねに行く前に、ラガーツの温泉で6週間ほど療養している。


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