アルフレッド・マーシャル
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この V は貨幣の取引流通速度 (Velocity of circulation of money) と呼ばれる[注釈 3]

一般的には GDP と関連させ、財の取引量 T を実質GDP Y に置き換え以下のように表すことが多い。 M V = P Y . {\displaystyle MV=PY\,.}

同様に流通速度 V について解くと、 V = P Y M {\displaystyle V={\frac {PY}{M}}}

V は名目GDP PY とマネーサプライ M の比として表せる。この V は貨幣の所得流通速度(Income velocity of money) と呼ばれる。

ここで流通速度の逆数 1/V を k とすると、交換方程式より、名目GDPおよびマネーサプライとの関係は次のようになる。 k = M P Y {\displaystyle k={\frac {M}{PY}}}

この k はマーシャルの k と呼ばれる。名目 GDP に対するマネーの割合であり、この値が 1 であればマネーサプライと名目 GDP が等しくなる。また GDP に含まれない取引があるため、所得流通速度は取引流通速度より小さい[5]。ただし、GDPに含まれない取引を除外する場合、T = aY (T:財の取引量 a:定数, Y:実質GDP) と表すとき、定数 a は 1 と仮定する (T = Y )。

マーシャルの k の推移から、現在の経済でマネーが過剰なのか不足しているのかを調べる際の指標となる。尚、マーシャルにおける元々の式 M d = k p Y + k A {\displaystyle M\!d=kpY+kA}

は(Md : 貨幣需要、A : 資産総額)、のちのケインズにおける貨幣需要関数(貨幣需要 = 取引需要 + 投機的(資産)需要)の原形といわれる。
経済騎士道と集産主義批判

マーシャルは1907年の論文「経済騎士道の社会的可能性」で、戦争における騎士道が、無私の忠誠心を含むように、ビジネスにおける騎士道も公共的精神を含み、それは高貴で困難な事柄を、それがゆえに行うという喜びをも含んでいるとし、「産業において、最高に建設的な仕事に対する主な動機は、困難を克服し、誰もが認める指導者の地位を獲得しようとする騎士道的な願望である。」と経済騎士道を提唱した[6]

その一方で、生産手段の所有と管理を国家に移転させようとする集産主義(コレクティビスト、社会主義共産主義を含む)については、「集産主義者の支配が著しく拡大され、自由企業に残された領域があまりにも制限されるならば、官僚的手法の圧力によって、物質的富の源泉だけでなく、人間性のより高い資質の多くもまた損なわれるに違いないと確信している。」と集産主義の危険を説いた[7]

また、現在の社会状態を激しく非難することに喜びを感じる人々の努力は、一時的な熱狂を引き起こすかもしれないが、しかし、それらは公共の利益のための地道な仕事から活力をそらすことになるので有害であるとし、「現在の経済状態に固有の弊害を誇張することは、長い目で見れば進歩を遅らせることになる。」と批判する[8]

マーシャルは、「現代は、しばしば言われているほどには浪費的でも過酷でもない。国民の総所得の半分よりもずっと多く、おそらくは四分の三程度は、生活の方法に関して現在の限られた理解の範囲内で可能な限り効率的に、幸福と生活の向上に役立つように用いられている。」[6]と述べて、現代において増大しつつある富の用途の大部分は、下劣でも身勝手でもなく、人々が利潤、俸給、賃金を得るための労働での分配状況の変化をみると、物質的な快楽や贅沢品を供給する人々が著しく増えているわけでもないし、一方で人々の病気を治療したり、知的芸術的能力を発展させる職業で働く人々は著しく増えていると指摘する[8]。また、公的資金は、選挙で自分の意思を押し通す人々の利益を増やすために支出されているわけではなく、主に女性や子供の利益のために費やされているし、現代では、貧困者が富裕者よりも税金を多く支払わされたりすることや、貧困者の病気や苦しみを減らすよりも富裕者の閑職を与えるような古いしきたりも廃止された[8]。たとえば、チャールス・ブースは、イギリスの人口の3分の1が飢餓の瀬戸側にあると主張するが、現代の労働者の賃金は、かつての賃金の4倍に上昇している[注釈 4]と批判する[8]。ユートピアの計画者(集産主義者、社会主義者)たちは、富が平等に分配されれば、すべての人が現在の労働者の手が届かないような安楽、洗練、贅沢品が手に入るようになると考えるが、しかし、多くの裕福な熟練労働者の所得は、イギリスの国民所得17億ポンドを4300万人の全人口で平等に分配するよりも多くの所得をすでに得ており、もし所得の平等な分配が実施されれば、彼らの所得は減るのである[8]

トマス・モアウィリアム・モリスのユートピアは実行可能なものとして主張されているわけではないが、近年(20世紀初頭)ではそれが実行可能であると主張しながら、経済の現実についての十分な研究に基づかないまま計画がなされ、われわれは多くの被害を受けているとマーシャルはいう[8]

アダム・スミスは福祉事業に関わったが、公共の福祉事業に政府を参加させるよう勧める人々の本当の動機が、自分の利益の増大か、縁故者に報酬のよい地位を与えることであったことを経験した[7]。マーシャルは、普通教育があり、統治者を統治し、権力の乱用を阻止することができる現代では、公共事業を安全に企画できるが、政府を牛耳っている者たちの利己的で腐敗した目的に悪用される危険もあるという[7]

マーシャルによれば、19世紀から20世紀初頭にかけての社会主義、共産主義、集産主義の実験では、機械を使用することを軽蔑し、住居や家具についてさえも私有財産を認めず、趣味や生活上の事柄についても個性を発揮する余地を認めず、全員の労働による共同生産物を平等に分配した[9]。差別があるとすれば、力強いメンバーには厳しい仕事を割り当て、病人にはよい食事を与える程度であり、労働者を能力に応じて分類し、困難または不快な仕事をした人には労働時間の短縮などで埋め合わせをすることもなかった[9]。こうした社会主義の実験の結果、普通の人間にとっては、騎士道よりも嫉妬心の方がはるかに強力であるということが決定的に証明された[9]


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