アルフレッド・ベスター
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このため発表の舞台をギャラクシィ誌に移すことになった。

1939年から1942年のSF作家としての第一期には短編作家として知られ、「イブのいないアダム」などの作品がある。しかし、1950年代にSF界に復帰した際には『分解された男』や『虎よ、虎よ!』といった長編で名を上げることになった。1952年に長編『分解された男』を『ギャラクシィ』誌に連載して復帰[1]。この作品は第一回ヒューゴー賞を受賞した[1]。これは、テレパシーが一般化した未来世界を舞台にした警察小説である。ベスターは題名を Demolition! にしたいと考えていたが、編集者がやめさせた。

次の長編 Who He? は現代を舞台にしたサスペンス小説であり、SF要素はなく、あまり評価されなかった。しかしペーパーバック版がよく売れ、映画化権を売ったことでまとまった金も手に入った。ただし、実際には映画化されなかった。それでも映画化権を売った収入は大きく、ベスター夫妻は数年間ヨーロッパで過ごすことができた。その間、夫妻はイタリアとイングランドを主に旅していた。

次の長編はイングランドにいたころに構想ができ、ローマで大部分を執筆した。『虎よ、虎よ!』(元々の題名は『わが赴くは星の群』)の発想の原点は、ベスターが見かけた Poon Lim についての新聞記事だった。Poon Lim は南大西洋で133日間漂流した後に救出された(付近を通過する船もあったが、第二次世界大戦中であり、潜水艦から魚雷を発射するためのおとりではないかと疑われ、どの船も救助しようとしなかった)。これをデュマの『モンテ・クリスト伯』に瞬間移動の要素を加えた復讐譚に仕立てた。サイバーパンクの先駆けとされることもある。『虎よ、虎よ!』もギャラクシィ誌に連載され(4回)、1957年に単行本化された。ベスターの最高傑作とされており、1991年にはBBCでラジオドラマ化されている。

ヨーロッパ旅行中、ベスターは一般誌 Holiday に旅行記などのノンフィクションを発表していた。その出来に感銘を受けた編集者がベスターを招き、世界各地の旅行記の執筆を依頼した。また、ソフィア・ローレンアンソニー・クインといったスターのインタビューも依頼している。このため『虎よ、虎よ!』発表後のベスターはSFを書く時間が減っている。1958年と1959年には短編が3作発表されている。しかしその後1963年10月まではフィクションが全く発表されていない。この間ベスターは Holiday 誌の編集者となり、F&SF誌には1960年から1962年まで書評を連載していた。

1954年の短編「ごきげん目盛り」が1959年に Murder and the Android としてテレビドラマ化された。これをきっかけとしてベスターは再びテレビ業界で脚本家として働くようになった。

4年間のブランクを経て、ベスターは1963年から1964年にかけて何作かのSF短編を発表した。しかしこのころのベスターにとってSFの執筆は余技でしかなかった。結果として1964年以降 Holiday 誌が休刊となる1971年まで、ベスターが発表したSF作品は一般誌に発表した700語の短編1作しかない。Holiday 誌の編集者として、SF要素のある記事を掲載することもあった。例えば、アーサー・C・クラークの月旅行に関する記事を掲載したことがある。しかし、自分のSF作品を Holiday 誌に掲載することはなかった。Holiday は旅行やライフスタイルを扱う雑誌であり、SFの読者とは年齢層が明らかに異なっていたためである。

Holiday 誌は1971年に休刊となったが、後にベスター抜きで復刊している。約15年ぶりにベスターは定職のない立場となった。1972年、SF界に戻ったベスターだったが、ヒューゴー賞ネビュラ賞に何度かノミネートされるものの受賞を逃している。作品の評価や人気もかつてほどではなかった。

ベスターは1970年代中ごろから目が悪くなり、執筆が徐々に困難になっていった。このため1975年から1979年にかけて再び小説執筆から遠ざかっている。このころ1978年の映画「スーパーマン」のプロデューサーが脚本家を捜し求め、ベスターにたどり着いた。しかしプロットの方針がおりあわず、実際の脚本は『ゴッドファーザー』のマリオ・プーゾが書くことになった。

ベスターは1979年に短編を2作発表し、1980年代には長編を2作発表した。しかし目だけでなく他にも健康上の問題を抱えるようになり、1981年以降は全く執筆しなくなった。1984年には妻を亡くしている。

1985年、1987年のワールドコンのゲスト・オブ・オナーとしてベスターが招待されることになった。しかし、ワールドコン直前にころんで腰骨を骨折し、参加できなくなった。代わりにドリス・レッシングが急遽招待されることになった。

ベスターは腰骨の骨折が元となって体調が悪化し、ワールドコンの約1カ月後に亡くなった。亡くなる直前、翌年のワールドコンでアメリカSFファンタジー作家協会からグランド・マスター賞を贈る予定であることが伝えられたという。

ベスターには子供がいなかったため、バーテンダー Joe Suder に遺産を贈った。


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