アルフォンソ13世_(スペイン王)
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「絶対中立」を宣言したスペインは、軍需産業が繁栄して「16世紀以来の大型景気」となった[3]。異例の貿易黒字を記録したが、この恩恵を受けたのはブルジョワジーばかりであり、インフレーションや日用品の物価高騰によって一般市民の暮らしは悪化の一途を辿った[3]。 亡命アルフォンソ13世はしばしば社会改革の努力を行うものの、途絶えることのないテロの中で政府高官は次々に暗殺され、統治の形態はますます旧来の抑圧へ傾斜を深めた。また、社会不安に混沌とする国内を鎮めるため、イタリアに倣い、1923年にはプリモ・デ・リベーラ将軍を登用し、権威主義体制による王権維持を目指した。プリモ・デ・リベーラ失脚後の1931年4月12日に行われた自治体選挙(スペイン語版)の結果、帝政派578人対し共和派が974人の当選を果たして圧勝[4]。同年4月14日に退位が伝えられると、マドリード市民は窓から国王の肖像画やブルボン王家の紋章を投げ捨て広場で火にくべた[5]。
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出典: フリー百科事典『
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