アルフォンソ・キュアロン
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2013年『ゼロ・グラビティ』
その他の賞
ボストン映画批評家協会賞
撮影賞
2018年『ROMA/ローマ』
外国語映画賞
2001年『天国の口、終わりの楽園』

備考
第72回ヴェネツィア国際映画祭 審査委員長(2015年)
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アルフォンソ・キュアロン・オロスコ(スペイン語: Alfonso Cuaron Orozco、1961年11月28日 - )は、メキシコ映画監督。姓は母語のスペイン語読みに近いクアロンとも表記される。
略歴

1961年、国際原子力機関原子物理学者アルフレッド・キュアロンの息子としてメキシコシティに生まれる。弟カルロス(英語版)も同じく映画監督となり、後に共同でヴェネツィア国際映画祭脚本賞を受賞。三男アルフレッドは生物学者となった。

メキシコ国立自治大学で哲学と映画を学び、以降全作品でタッグを組む盟友エマニュエル・ルベツキと出会い、短編『Vengeance Is Mine』を制作。メキシコのテレビ局に入社し、ディレクターとして南米圏の映画に関わる。

1991年に初の長編映画『最も危険な愛し方』がトロント国際映画祭に出品され、これがシドニー・ポラック監督の目に留まり、TVシリーズ『Fallen Angels』の監督として雇われ1エピソードを担当。米国進出の足がかりとなる。

1995年に初の米国での長編映画となる『リトル・プリンセス』を監督し、ロサンゼルス映画批評家協会賞ニュー・ジェネレーション賞受賞、ルベツキがアカデミー撮影賞ノミネートなど好評を得る。1998年にはチャールズ・ディケンズの小説を原作に、イーサン・ホークグウィネス・パルトロウロバート・デ・ニーロを起用した『大いなる遺産』を制作した。

2001年の『天国の口、終りの楽園。』は母国に戻り制作、 2人の若者と人妻の珍道中を描いたロードムービーは、奔放な性描写や開放的なユーモアが評価され、弟カルロスと共にヴェネツィア国際映画祭脚本賞受賞、アカデミー脚本賞ノミネートなど、国際的な評価を獲得した。

2004年には『ハリー・ポッター』シリーズのクリス・コロンバス監督の降板により、スティーヴン・スピルバーグなど多くの候補の中から3作目の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の監督に抜擢される。前2作より原作小説の本質を捉えていたと評価され、アカデミー視覚効果賞にノミネート。次作『トゥモロー・ワールド』も6分に及ぶ長回しによる戦闘シーンが話題となり、アカデミー賞3部門にノミネートされた。

映画プロデューサーとしても2つの製作会社を経営し、ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』などをプロデュースしている。2007年にはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、デル・トロの3人が共同取締役となり、「チャチャチャ・フィルム」を立ち上げ、翌年カルロスを監督に起用して『ルドandクルシ』を制作した。3人は「スリーアミーゴス・オブ・シネマ」と呼ばれている。

2013年、7年ぶりの監督作品『ゼロ・グラビティ』はアカデミー賞10部門にノミネートされ、監督賞をはじめ、撮影賞視覚効果賞など最多7部門を受賞。米国主要映画賞の監督賞を総なめにした。アカデミー編集賞を共同受賞したマーク・サンガーと共に、監督賞、編集賞を受賞する初のラテンアメリカ人となった。

2015年、息子ホナス・キュアロン(英語版)の監督映画『ノー・エスケープ 自由への国境』の製作をカルロスと共に務める。また同年の第72回ヴェネツィア国際映画祭の審査員長を務めた[1]

2018年、1970年代のメキシコの中流家庭を描いた『ROMA/ローマ』でヴェネツィア国際映画祭の最高賞である金獅子賞を受賞。第91回アカデミー賞では、作品賞を筆頭とする最多計10部門にノミネートされ、自身は監督賞撮影賞を、作品自体は国際長編映画賞を受賞した。

2022年のアリーチェ・ロルヴァケル監督作の短編映画『無垢の瞳』ではプロデューサーとして参加し、アカデミー短編映画賞にノミネートされ、ケネス・ブラナーにつづく2人目の7部門でノミネートされた人物となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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