アルバート・ベル
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試合では第1打席野茂英雄三振を喫するなど3打数無安打に終わった[11]7月18日カリフォルニア・エンゼルス戦でリー・スミスから逆転サヨナラ満塁本塁打、8月30日8月31日トロント・ブルージェイズ戦で2試合連続サヨナラ本塁打[7]9月19日のホワイトソックス戦で3打席連続本塁打[12]を放つなど後半戦で36本塁打・75打点を記録し[13]、シーズン通算で打率.317、いずれもリーグトップの50本塁打・126打点・52二塁打・長打率.690・121得点・377塁打の成績で最多本塁打・最多打点の二冠を獲得。本塁打はアル・ローゼンの球団記録43を更新[14]し、史上初の「50本塁打・50二塁打」を達成する大活躍で、100勝を挙げて独走で中地区優勝を果たしたチームの原動力となった。ボストン・レッドソックスとのディビジョンシリーズでは第1戦で1点ビハインドの延長11回裏に同点本塁打を放ち、チームは延長13回にサヨナラ勝利[15]シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦でボブ・ウォルコット(後近鉄)から本塁打を放つ[16]が、打率.222と振るわず。チームは4勝2敗で41年ぶりのリーグ優勝を果たした。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは、第5戦でグレッグ・マダックスから本塁打を放つ[17]など2本塁打を記録したが、両チーム最多の7四球と勝負を避けられるケースが多く、チームは2勝4敗で敗退した。MVPの最有力候補と目されていたが、投票ではモー・ボーンと8ポイント差の2位に終わった[18]。打点は同数、打率・本塁打・出塁率・長打率でボーンを上回る成績を残したにもかかわらず受賞を逃したのは、周囲と度々衝突を起こすなど問題のある性格が原因だった。

1996年は前半戦で27本塁打・74打点の成績[19]で、オールスターゲームに2年連続の先発出場を果たしたが3打席連続三振を喫した[20]7月31日のブルージェイズ戦で逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ[7]。打率.311・48本塁打・148打点・124得点を記録して2年連続の最多打点を獲得し、チームは地区連覇。ボルチモア・オリオールズとのディビジョンシリーズでは第3戦でアーマンド・ベニテスから決勝の満塁本塁打を放つ[21]が、チームは1勝3敗で敗退した。MVPの投票では3位[22]10月28日フリーエージェントとなり、11月19日にホワイトソックスと5年5,500万ドルで契約[4][23]。主砲トーマスとの最強の3・4番コンビが誕生した。尚契約には『年俸が上位3位以内でなければフリーエージェントになる』という条項が付け加えられた[24]
シカゴ・ホワイトソックス時代 (1997年 - 1998年)

移籍1年目の1997年は5年連続のオールスターゲームに選出されたが、出場機会は無かった。後半戦で打率.247[25]と不調に陥り、トーマスが首位打者を獲得する一方で打率.274・30本塁打・116打点、リーグワーストの26併殺打とやや精彩を欠いたが、4本の満塁本塁打を放った[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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