アルバン・ベルク
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ベルクと指揮者は激しい批判に晒されるが、この作品によってベルクの作曲家としての名声は揺るがぬものとなった。この年、プラハ訪問中に知り合ったハンナ・フックス=ローベッティーンとの不倫関係が始まり、この関係から『抒情組曲』という音楽的果実が実る事になった。

1928年フランク・ヴェーデキントの戯曲「地霊」および「パンドラの箱」に基づく歌劇『ルル』の作曲に取り掛かるも、翌年には「ルル」の作曲を一時中断、演奏会用アリア『ワイン』を作曲した。

「ヴォツェック」の成功によって順調であるかに見えたベルクの作曲家人生は、1933年ナチス・ドイツ政権発足によって暗転する。師シェーンベルクと共に(ベルクはユダヤ人ではないが)ベルクの音楽も「退廃音楽」のレッテルが貼られ、ドイツでの演奏が不可能になる。

1935年アルマ・マーラーと彼女の2番目の夫ヴァルター・グロピウスとの娘でベルクも可愛がっていた、マノン・グロピウスの訃報に接し、「ルル」作曲の筆を再び置いて、ベルクとしては異例の速筆でヴァイオリン協奏曲(「ある天使の想い出に」)を書き上げる。しかし、協奏曲完成の直前に虫刺されが原因で腫瘍ができ、これが悪化、手術を受けるも敗血症を併発しこの年の12月24日に50年の生涯を閉じた。

未完のまま遺された「ルル」は完成していた2幕までと「ルル組曲」の抜粋という形で初演されたが、未亡人ヘレーネは補筆を禁じ、3幕の形での「ルル」(フリードリヒ・ツェルハ補筆版)初演はヘレーネ没後の1979年パリオペラ座にて行われた(パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮)。ヘレーネがここまで頑なになったのは、第二次世界大戦後にショイヒルの子と会ったこと、ベルクとアルマの三番目の夫の姉ハンナとの不倫を知ったことによる夫への反感から情報をコントロールしようとしたことが原因であるとする説もある[2]
その他

小惑星(4528) Bergはベルクの名前にちなんで命名された[3]
主要作品詳細は「ベルクの楽曲一覧」を参照

7つの初期の歌曲

ピアノ・ソナタ op. 1

弦楽四重奏曲 op. 3

アルテンベルク歌曲集 op. 4

管弦楽の為の3つの小品 op. 6 (1914年 - 1915年/1929年改訂)

歌劇『ヴォツェック』 op. 7 (1925年初演)

室内協奏曲1923年 - 1925年

抒情組曲1925年 - 1926年

ヴァイオリン協奏曲1935年

歌曲集「私の両眼を閉じてください

管弦楽伴奏歌曲「ワイン」

歌劇『ルル』(1928年 - /未完成)

編曲

フランツ・シュレーカーの歌劇《はるかなる響き》のヴォーカルスコア1911年

アルノルト・シェーンベルクの《グレの歌》のヴォーカルスコア(1912年

シェーンベルクの《弦楽四重奏曲第2番》の後半2楽章(同上)

ヨハン・シュトラウス2世ワルツ酒、女、歌》(1921年


参考文献

Ingo Muller: Lulu. Literaturbearbeitung und Operndramaturgie: Eine vergleichende Analyse von Frank Wedekinds Lulu-Dramen und Alban Bergs Oper Lulu im Lichte gattungstheoretischer Reflexionen (= Rombach Wissenschaften: Reihe Litterae. Band 177). Freiburg i. Br. 2010.


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