アルバロ・オブレゴン
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1917年2月に新憲法が制定、オブレゴンはこの憲法制定手続きに不満を表明し国防相を辞任、政界を引退して故郷のソノラ州に戻りひよこ豆の栽培事業を再開した。1919年4月にサパタがカランサの刺客により暗殺、労働者勢力はカランサへの対抗のためオブレゴンに協力を求め、オブレゴンはこれを受け6月に立憲自由党から次期大統領選への立候補を表明する。憲法は大統領の再選を禁止していたため、カランサは自分の後継としてイグナシオ・ボニージャス(英語版)を指名、ボニージャスは駐米大使を経験したインテリだったがスペイン語が話せなかった。ルイス・モロネスの指導する労働者地域連合 (CROM) を母体とした労働党、国民協同党、ユカタン社会党がオブレゴンを支持したが、翌年1月にカランサはオブレゴンを逮捕しようとし、オブレゴンはソノラ州に逃亡した。

3月になるとカランサは労働組合の争議鎮圧を口実にソノラ州に軍を派遣し、これに対しソノラ州知事アドルフォ・デ・ラ・ウエルタがソノラ独立共和国を宣言する。ソノラ州の立憲自由軍はカランサに対して宣戦布告、国内は再び内戦状態となり、ビリャ、サパタ派も立憲自由軍を支援した。立憲自由軍は5月にメキシコシティに侵攻、カランサはベラクルス州で臨時政府の樹立を試みるがプエブラ州でロドルフォ・エレーロ(スペイン語版)将軍率いる部隊の待ち伏せを受け殺害され(オブレゴンはエレーロを裁判にかけ、軍階級を剥奪)、立憲自由軍が国土を制圧(ボニージャスは辛くも脱出し、1942年にアメリカで死去)。1920年6月1日から1920年12月1日まで6か月の間、アドルフォ・デ・ラ・ウエルタが臨時大統領を務めた。9月5日に大統領選挙が実施され、オブレゴンは他候補に大差を付け圧勝、12月1日に大統領に就任した。臨時大統領だったデ・ラ・ウエルタは蔵相に任命された。

オブレゴン大統領下の4年は石油産業におけるアメリカ合衆国との良好な関係と、4年間で170万ヘクタールの土地を16万人の農民に分け与えた農地改革が成果としてあげられる。1923年7月にビリャが暗殺され、彼を支持していたデ・ラ・ウエルタはオブレゴンに対して不信を強める。8月にオブレゴンはメキシコ国内のアメリカの既得権益を認め、引き替えにアメリカからのメキシコ政府の承認を獲得するが、議会はこれに反発しデ・ラ・ウエルタを大統領候補に推薦する。デ・ラ・ウエルタは12月7日にベラクルスで革命を宣言し内戦が勃発。しかしながら翌年3月に反乱軍は鎮圧されてウエルタはアメリカへ亡命、オブレゴンは反乱に参加した少佐以上の将校を銃殺した。オブレゴンは憲法の再選禁止規定により大統領を辞職し、7月の選挙ではプルタルコ・エリアス・カリェスが勝利、大統領に就任した。だが、カリェスは石油利権を巡ってアメリカと一時戦争寸前にまで陥り、アメリカの既得権を認めることで和解。さらに、農地改革の進行を滞らせた上、カトリック教会の既得権を剥奪したためにクリステロ戦争が勃発する(1926年-1929年)。

1926年になるとカリェスは憲法を改定、再選規定を連続再選の禁止と変更し、任期も6年に延長、オブレゴンの大統領選再出馬を可能にした。1927年、オブレゴンの再選に反対する勢力は再選反対党を結成しアルヌルフォ・ゴメス(スペイン語版)将軍を大統領候補に推す。フランシスコ・セラーノ(スペイン語版)将軍も国民革命党からの出馬を表明したが、10月にセラーノは反乱を企て軍によって射殺され、11月のゴメス将軍による反乱も鎮圧、ゴメスも銃殺される。

対立候補を全て葬り去ったオブレゴンは翌1928年7月に再び大統領に選出された。彼は勝利を祝うためにメキシコシティへ戻ったが、7月17日、レストランでの大統領就任パーティーの最中に、カリェス政権による教権反対綱領へ不満を持つカトリック過激派の神学生ホセ・デ・レオン・トラル(英語版)によって顔面に五発の銃弾を受け暗殺された。トラルは翌年の2月9日銃殺刑に処されている。オブレゴンの死を受けて、エミリオ・ポルテス・ヒル(英語版)が臨時大統領に就任したが実質カリェスの傀儡であり、カリェスは6年に渡って傀儡の大統領を立てて陰から支配した(マクシマート)。

オブレゴンの地元であったソノラ州のシウダー・オブレゴンと、彼の暗殺現場を含むメキシコシティの中のアルバロ・オブレゴン自治区は彼に因んで改名された。
関連項目

メキシコ革命

先代
アドルフォ・デ・ラ・ウエルタ メキシコ合衆国大統領
1920 - 1924次代
プルタルコ・エリアス・カリェス

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