アルツァフ共和国
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実効支配していた地域は2023年ナゴルノ・カラバフ衝突の結果、アゼルバイジャンに復帰^ アゼルバイジャンが実効支配している地域(シャフミアン地区の一部など)を含む。なお資料によっては11,430 km2(The National Statistical Service of NKR (2014) p.23)、11,458.38 km2とも(2015年国勢調査)。
^ アルツァフ・ドラム(英語版)も法定通貨となっているが、流通量が少なくほぼ使われていない。
1991年から2020年までの領域(薄緑はアゼルバイジャンが実効支配)

アルツァフ共和国(アルツァフきょうわこく、アルメニア語: ?????? ???????????????)、別名ナゴルノ・カラバフ共和国(ナゴルノ・カラバフきょうわこく)は、南コーカサス地方のアルメニア人が多数派を占めるナゴルノ・カラバフ地方に建国された離脱国家であり、その領土は国際的にアゼルバイジャンの一部として認められている。首都はステパナケルト(アゼルバイジャン語名:ハンケンディ)。

アルツァフは1991年から2023年まで、旧ナゴルノ・カラバフ自治州の大部分と、アルメニアに面するアゼルバイジャン領の一部を実効支配しており、事実上の独立国家として機能していた。2023年9月にアゼルバイジャンの攻撃を受け降伏し、解散宣言(後に撤回)を行った。同年10月に政府機能がアルメニアのエレバンへ移転し、事実上の亡命政府となっている[9]
概要アゼルバイジャン人(  水色)とアルメニア人(  黄緑色)の分布。アゼルバイジャン人は、ナゴルノ・カラバフの南にあるイラン北西部側にも居住していることがわかる。

アルメニア人が多く住むナゴルノ・カラバフ地域は、ロシア帝国崩壊後の1918年に両国が独立した際、アゼルバイジャン民主共和国アルメニア第一共和国の双方が領有権を主張していた。1920年にこの地域をめぐって短期間の戦争が勃発。1923年、ソビエト連邦がこの地域の支配権を確立し、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国内にナゴルノ・カラバフ自治州(NKAO)を創設した後、紛争はほとんど棚上げされた。1980年代後半から1990年代初頭にかけてのソビエト連邦の崩壊過程で、この地域はアルメニアとアゼルバイジャンの紛争の火種として再び浮上した。1991年、ナゴルノ・カラバフ自治州と隣接するシャフミャン州で住民投票が実施され、「独立」が宣言された。アルツァフ共和国は、一院制議会を持つ大統領制民主主義国家である。アルメニアと密接な関係にあり、事実上アルメニアの一部として機能していた。

アゼルバイジャンはこれを認めず、民族紛争は第一次ナゴルノ・カラバフ戦争へと発展した。その後も断続的に軍事衝突が続き、2020年の戦争でアゼルバイジャンが優勢を確立。アゼルバイジャンは2023年9月19日から20日にかけて「対テロ作戦」と称する全面攻撃を実施。アルファツ共和国が同国軍の武装解除と停戦を受け入れ、サンベル・シャフラマニャン大統領は9月28日、2024年1月1日までに全ての国家機関を解散して存在を停止する大統領令を発出した[10][11]。前後してシャフラマニャン大統領を含む総人口の8割以上のアルメニア人が脱出し、ナゴルノ・カラバフ地域における実効支配をほぼ喪失した[12]。12月22日、シャフラマニャン大統領は9月28日の大統領令の撤回を宣言し、2024年以降も存続する見通しである。

国土は山岳地帯が多く、平均海抜は1,100メートル。2023年ナゴルノ・カラバフ衝突終結時点の人口は約12万人だったが、アゼルバイジャンが勝利したことにより、同年9月末までに10万人以上がアルメニアへ脱出した[10]。かつての人口の99.7%がアルメニア人で、主にアルメニア語が話され、大半はキリスト教アルメニア使徒教会の信徒だった。歴史的な修道院がいくつかあり、観光客に人気がある。アルメニアとアルツァフ間の移動しかできないため、観光客の多くは民族離散したアルメニア人であった。アルメニアへの唯一の陸路アクセスルートは、幅5kmのラチン回廊である。アゼルバイジャンがこの地域の封鎖を開始し、軍事検問所を設置するまで、この回廊は2020年ナゴルノ・カラバフ紛争停戦後から2022年にかけて、ロシア連邦が派遣した平和維持部隊(ロシア語版)の管理下にあった。
国名

国名の正式名称は「アルツァフ共和国」と「ナゴルノ・カラバフ共和国」の2種類が用意されている[13]。各言語での公式表記は、

アルメニア語: ?????? ??????????????? / ???????? ???????? ???????????????[14]

英語: Republic of Artsakh / Nagorno-Karabakh Republic (NKR)[8]

ロシア語: Республика Арцах / Нагорно-Карабахская Республика (НКР)[15]

とされている。アゼルバイジャン語の表記は、

アゼルバイジャン語: Artsax Respublikas? / Qondarma Da?l?q Qaraba? Respublikas?

アゼルバイジャン語: Артсах Республикасы / Гондарма Да?лыг Гараба? Республикасы

アゼルバイジャン語: ?????? ????????? / ???????? ?????? ??????? ?????????

となる。

2006年12月10日に採択された初代憲法では自称を「ナゴルノ・カラバフ共和国」、別称を「アルツァフ共和国」としていたが[16]、2017年2月20日に採択された現行の憲法(2代目)では自称を「アルツァフ共和国」、別称を「ナゴルノ・カラバフ共和国」としている[13]。これに伴い憲法名がナゴルノ・カラバフ共和国憲法からアルツァフ共和国憲法へ変更され、一般的に国名の変更が行われたと解釈されている[17]。「アルツァフ共和国憲法(英語版)」も参照

「ナゴルノ・カラバフ」という日本語のカタカナ表記は「カラバフ高地」を意味するロシア語名称に由来する[18]。「カラバフ(ロシア語版)」はテュルク語の「黒い」という語に由来し、この地が緑豊かであることを示す[18]。「アルツァフ」はかつてナゴルノ・カラバフを治めていたアルメニア人国家(アルツァフ王国)の名であり[19]、また「解放される」という動詞の派生でもあるため、民族独立を鼓舞する狙いとしても採用されている[18]
歴史
建国詳細は「ナゴルノ・カラバフの歴史(ロシア語版)」を参照

ナゴルノ・カラバフ戦争が激化しつつあり、そしてアゼルバイジャンがソビエト連邦から独立を宣言した1991年8月30日の3日後である同年9月2日[20]アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領であったナゴルノ・カラバフ自治州および自治州の北部に隣接するシャウミャノフスク地区が合同する形で、「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言した[21]


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