アルゼンチン
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アルゼンチンの2021年の名目GDP(国内総生産)は4,867億ドル[32]、実質GDP(国内総生産)は5,681億ドルである[33]。これは、2021年世界の名目GDPランキングの29位である[34]。2021年のGDP成長率は、前年比10.4%と2017年以来4年ぶりのプラス成長となった[35]
貿易

2021年の貿易収支は黒字で、輸出額は前年比42.0%増の779億3,400万ドル、輸入額は49.2%増の631億8,400万ドルである[36]

アルゼンチンの主要な輸出相手地域・国は、ブラジル (15.1%)、EU27 (12.7%)、中国 (8.1%) である。一方、アルゼンチンの主要な輸入相手国は、中国 (21.4%) 、ブラジル (19.6%) 、米国 (9.3%) であり、自動車及び同部品、燃料(ガス、軽油など)を主に輸入している[35]
日本

2021年度全期の日本からアルゼンチンへの輸出額は、前年度比54.6%増の988億円で、自動車及び部品を主に輸出している。日本のアルゼンチンからの輸入額は、前年度全期額の約2.3倍の1,157億円で[37]、トウモロコシ、大豆などの穀物、大豆油かすなどの食品加工品を輸入している。(前年度は新型コロナウイルスの感染拡大で経済が停滞した。)

日本は、アルゼンチンの輸出相手国として28位、輸入相手国としては11位である[35]
交通詳細は「アルゼンチンの交通(英語版)」を参照ロサリオのビクトリア橋を通る貨物船

アルゼンチンのインフラは他のラテンアメリカ諸国に比べると良好である[38]。約21万5,471キロ[39]の道路網と734キロの高速道路[40]があり、その多くが民営化された。多車線の幹線道路は現在いくつかの主要都市を結び、さらに現在工事中である[41]

アルゼンチンの鉄道網は総延長3万1,000キロ以上である。ブエノスアイレスの地下鉄(Subte、スブテ)はスペイン語圏、ラテンアメリカ、南半球全域の中でもっとも早く建設された[42]

アルゼンチンには約3,000キロに及ぶ水路があり、多くはラ・プラタ川、パラナ川、ウルグアイ川、ネグロ川、パラグアイ川を通行する。
国民詳細は「アルゼンチン人」を参照「アルゼンチンの民族(英語版)」も参照

アルゼンチンの国民はヨーロッパ系が85%、メスティーソおよびインディヘナなどが15%である。もっともヨーロッパ系アルゼンチン人の占める比率は89.7%[43]から97%[44]と資料によって大きな差があり、近年の研究では実はアルゼンチン国民の56%に先住民の血が流れていることが明らかになっており[45]、自らを白人だと認識しているアルゼンチン人の過半数に、実は先住民の血が流れていることになる。

ヨーロッパ系アルゼンチン人にはイタリア系、スペイン系、ドイツ系の住民が多く、中でもイタリア系が一番多い。このイタリア系統の荒い言葉遣いが現在のアルゼンチン人全体の性格に受け継がれているため[要出典]、アルゼンチンのスペイン語にはイタリア語ナポリ方言の影響が強く見られる。イタリア移民が多いので第二のイタリアと認識されることもあった[要出典]。

アルゼンチン人はしばしば「燃えたぎるような愛国者」と形容され、自国への批判に異常に敏感であるが[46]、その一方で概して国を批判する傾向がある。強烈な個人主義者としても知られ、「ビベサ・クリオージャ」と呼ばれるクリオージョ的な人を出し抜く抜け目のなさと[47]、アミーゴと家族以外の非人間的な政府や社会といった組織は信用できないという心性からくる、人を出し抜くような行為によって不快な思いをさせられ[46]、アルゼンチン人はアミーゴ以外には不親切であるという人間も出るのである。これはアルゼンチン人が国家に代表される抽象的なものよりも、友情といった具体的な対象への強く忠誠を抱くことの裏返しでもある[46]

ペルーの文学者、マリオ・バルガス・リョサは「アルゼンチンの誇り高さは病癖であり、ほかのラテンアメリカ諸国から批判されても仕方がない」と述べた[46]。アルゼンチン人は自国を選良であると思ってきたが[46]、こうした優越感と劣等感はその選良意識の裏返しであり[46]、強い愛国心の称揚の一方で行われる自国への強烈な批判は、国家が自分に十分な誇りをもたせてくれるには足りない存在であることの裏返しである[46]。こうしたことの起きる原因としては、19世紀半ば以来の自由主義化、ヨーロッパ化がアルゼンチン国民全体に受け入れられるような国民文化を育てることができなかったためだといわれている[46]。ただしガウチョのような例外もあり、アルゼンチン人はガウチョであることを誇る[46]
人口詳細は「アルゼンチンの人口統計(英語版)」を参照INDECによる1950年から2015年までのアルゼンチンの人口の推移グラフ

五月革命が起きた1810年に70万人だった人口は、ウルキーサがロサスを打倒した直後の1853年には90万人となり、その時点では純粋な白人は6万人ほどで残りはメスティーソや黒人やインディヘナだった。

カセーロス以降自由主義者の政権はヨーロッパから移民を大量導入すると、アルゼンチンの人口は増加し、1869年の初の公的な人口調査では約175万7,000人だった。その後、1900年には454万3,000人、1930年には1,200万5,000人、1940年には1,416万9,000人、1950年には約1,709万人、1960年センサスでは2,006万5,691人、1975年には約2,538万人、1983年年央推計では約2,963万人となった。2005年の見積もりによると、人口は3,874万7,000人と推測され、これは南米大陸の国家で3番目に多い。

2005年度の人口密度は1km2あたり14人になるが、人口は均衡を持って配分されているわけではなく、特にブエノスアイレス市周辺に集中しており、ブエノスアイレス市では人口密度が1万4,000人/km2になるのに対して、パタゴニアの最南部のサンタ・クルス州では1人/km2以下となる。アルゼンチンは南米で唯一純粋な移民の増加率が0.4%を超える国である[48]

2021年現在では4527.7万人になっている。
移民詳細は「アルゼンチンの移民(英語版)」を参照

19世紀半ばの国家の西欧化=白人化を望んだ自由主義者が勝利し、1853年憲法の第25条や、1876年の移民法の制定によってヨーロッパ移民が大量導入されると、次第に都市からは黒人が、パンパからはインディヘナやガウチョが姿を消し、以降アルゼンチンは白人国家であることを誇り、アイデンティティにするようになった。

20世紀に入ってからマイノリティが特にブエノスアイレスで目立たない存在になると、自らをヨーロッパになぞらえて、(ヨーロッパから見れば)「文化のない」アメリカ合衆国や、人種的優越感やラテンアメリカ一の経済大国であったことによる自信により、ラテンアメリカ諸国を見下す傾向と、ラテンアメリカとの連帯よりもヨーロッパとのつながりを重視する傾向があり[46][49]、折からのアルゼンチンの経済的な発展への羨望とあいまって、同国がラテンアメリカ諸国から嫌われる大きな原因となった。純粋な南欧系と比較すると小柄で、風貌も若干異なる人が少なくないことから、先住民系の血も少なからず受け継がれていることがわかるが、それでも現在のところアルゼンチン人の主要意識は白人国家、南米のヨーロッパであることに変わりはない。ただし、マルビナス戦争でヨーロッパ(EC)と敵対し、反対にラテンアメリカ諸国の支援を受けたことから、状況は多少変わってきている[46]

1837年の世代や1880年の世代に代表される19世紀の自由主義者はアングロ・サクソン移民を多く招いてアルゼンチンを非ラテン化したかったようだが、現実的に1871年から1913年までに定着した317万人のヨーロッパ移民としてはイタリア人イタリア系アルゼンチン人)、スペイン人が特に多かった。その他にはフランス人ロシア人ドイツ人オーストリア人イングランド人ウェールズ人クロアチア人ポーランド人ポルトガル人スイス人ベルギー人アイルランド人などが続き、ロシア系はほとんどがアシュケナジムだった。そのほかにはレバノンシリアから移民したアラブ人アラブ系アルゼンチン人)やブラジルなどから再移住した日本人日系アルゼンチン人)、スペイン内戦共和派の亡命者や、第二次大戦前にナチスに追われて逃げてきたドイツからのユダヤ人、そして戦後ナチスの残党として亡命してきたドイツ人などがいる[50][51]


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