アルゼンチン政府は南極の1,000,000 km2およびマルビナス諸島の領有を主張している。
アルゼンチン共和国[注釈 1](アルゼンチンきょうわこく、スペイン語: Republica Argentina)、通称アルゼンチンは、南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。位置は南米大陸から見ると南西側に位置しており、西と南にチリ、北にボリビア・パラグアイ、北東にブラジル・ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。首都はブエノスアイレス。
チリとともに南アメリカ最南端に位置し、国土の全域がコーノ・スールの域内に収まる。国土南端のフエゴ島には世界最南端の都市ウシュアイアが存在する。アルゼンチンはイギリスが実効支配するマルビナス諸島(英語ではフォークランド諸島)の領有権を主張している。また、チリ・イギリスと同様に南極の一部に対して領有権を主張しており、アルゼンチン領南極として知られる。
国名マルティン・デル・バルコ・センテネラ(英語版)の叙事詩『アルヘンティーナとラ・プラタ川の征服』
正式名称は、Republica Argentina(レプブリカ・アルヘンティーナ)。通称、Argentina(アルヘンティーナ)。英語表記は公式にはArgentine Republic(アージェンタイン・リパブリック)、通称Argentina(アージェンティーナ)。
日本語の表記はアルゼンチン共和国。通称アルゼンチン。ほかにアルゼンティンとも表記され、原語音に即したアルヘンティーナと表記されることもある。漢字表記では、亜尓然丁、亜爾然丁、阿根廷(.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: ?g?nting)など。
独立当時はリオ・デ・ラ・プラタ連合州(Provincias Unidas del Rio de la Plata)と呼ばれ、あるいは南アメリカ連合州(Provincias Unidas de Sudamerica)とも名乗っていた。リオ・デ・ラ・プラタはスペイン語で「銀の川」を意味し、1516年にフアン・ディアス・デ・ソリスの率いるスペイン人征服者の一行がこの地を踏んだ際、銀の飾りを身につけたインディヘナ(チャルーア人)に出会い、上流に「銀の山脈(Sierra del Plata)」があると考えたことから名づけたとされる。これにちなみ、銀のラテン語表記「Argentum(アルゲントゥム)」に地名を表す女性縮小辞(-tina)を添えたものである。初出は、1602年に出版されたマルティン・デル・バルコ・センテネラ(スペイン語版、英語版)の叙事詩『アルヘンティーナとラ・プラタ川の征服』とされる。その後、1825年に正式国名とした。
国名をラテン語由来へと置き換えたのは、スペインによる圧政を忘れるためであり、フランスのスペインへの侵略を契機として、フランス語読みの「アルジャンティーヌ(Argentine)」に倣ったものでもあるとされる。しかしながら、現在でも「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」や「アルゼンチン連合(Confederacion Argentina)」などの歴史的呼称は、アルゼンチン共和国とともに正式国名として憲法に明記されている。
歴史詳細は「アルゼンチンの歴史」を参照
先コロンブス期パタゴニアの手の洞窟アイマラ人が15世紀に築いた、アルゼンチン北西部フフイ州ティルカラ(英語版)にあるティルカラのプカラ(英語版)(石壁)
アルゼンチンの最初の住民は、紀元前11000年にベーリング海峡を渡ってアジアからやって来た人々だった。彼らは現在パタゴニアに残る「手の洞窟」を描いた人々であった。
その後、15世紀後半に現ペルーのクスコを中心に発展したケチュア人の国家クスコ王国(1197年 - 1438年)は、タワンティンスーユ(インカ帝国、1438年 - 1533年)の皇帝トゥパック・インカ・ユパンキとワイナ・カパックによって征服され、北西部のアンデス山脈地域はタワンティンスーユに編入された。