ほとんどのアルゼンチン人は多かれ少なかれクリオーリョ、すなわち植民地時代にアルゼンチンに渡ってきたスペイン人の血をひいている。そのスペイン人は地元のアメリカインディアンと結婚し、それより後にイタリアとスペイン出身の移民が多く押し寄せることとなった。 アルゼンチンはヨーロッパ人の血をひく人たちが多数を占めており、そのヨーロッパ人は1810年以前に植民地時代の時に入ってきた入植者の子孫や主に19世紀中ごろから20世紀中ごろにかけての大移動によってきた人たちが多い。「ヨーロッパ系アルゼンチン人」という名称は正式には使われず、国勢調査のデータにも存在しないが、ある情報ではヨーロッパ人はアルゼンチンの全人口の少なくとも81.9%、最大で96%いるという情報もある[19][20]。 現在、ヨーロッパの国別で移民が多いところは、イタリア人、スペイン人(バスク人、ガリシア人も含む)、ドイツ人、北欧人(主にデンマーク系アルゼンチン人、フィンランド系アルゼンチン人、スウェーデン系アルゼンチン人)、スラブ人(ロシア人、ウクライナ人、ポーランド人、チェコ人、ブルガリア人、スロベニア人、マケドニア人、クロアチア人も含む)、フランス人(バスク人も含む)、アイルランド人、ポルトガル人、オランダ人などである。 アラブ人とわずかでもアラブ人の血をひくアルゼンチン人は約4.2%である[19]。数としては320万人いて、多くは現在のシリアやレバノンにあるアラブの文化遺産や言語的遺産をもたらした人たちである。大きな移民の波が押し寄せるまで、ほとんどのアラブ諸国はオスマン帝国の支配下にあったのもあり、多くのアラブ人はアルゼンチンに入国するのにトルコのパスポートで入国していたので、トルコ語を話していたと言われている。 先住民の現代文化はマプーチェ族、Kolla族、Wichi族、Toba族によるものが代表される。2004年?2005年に行われたEPCIによる暫定的なデータによると、600329人の先住民(全人口の約1.49%)がアルゼンチンに住んでいる。その中で1番多いのはマプーチ族で、アルゼンチン南部に住んでいる。Kolla族とWichi族はアルゼンチン北西部に住んでいて、Tobas族は北西部に住んでいる人が多い。先住民とみなされているメスティーソもいる[16]。 その他にはボリビア、パラグアイ、ペルー、エクアドルなどの近隣諸国から来た移民などがいる。 正確な人数は不明だが、全人口の中にメスティーソの混合人種がいる。遺伝子研究によれば、アルゼンチン人のフットプリントを調べるとヨーロッパ系が大多数を占めているというわけではないという結果がでている。アルゼンチンの人口に関する最も信頼の高い遺伝子研究機関のひとつによれば、アルゼンチン北東部、北西部、南部、中央部(特にブエノスアイレスの中心部)では、サンプルの人たちによる人口構成は65%がヨーロッパ人で、次いで31%のアメリカインディアン、4%のアフリカ人もいる。しかし、この研究はアルゼンチンの平均的な民族分布をしっかりと示しておらず、多様なアルゼンチン人の遺伝子が存在するということだけを示した結果となっている。また、その研究ではアルゼンチン国内でも大きな違いがみられるという結果がでている。Daniel Corachによる研究ではアルゼンチン国内の平均ではどうなるかと、さまざまな地域で調べてみるとアルゼンチン人による常染色体の78.5%がヨーロッパ系であることが分かった[21]。ある資料ではメスティーソはアルゼンチン全体では2.5%で高い地域でもせいぜい15%という結果がでている。 2005年に行われた遺伝子研究によれば、ブエノスアイレスの人たちのアフリカ系遺伝子の割合は2.2%であった。しかし、この数字は非常に強いアフリカ系遺伝子を持っている10%の人たちによるものが多い。アルゼンチンに住んでいる黒人、ムラート(黒人とヨーロッパ人の混血)、ザンボ 19世紀には定期的に戦争があり、黄熱病のような病気が広まり、何千人ものヨーロッパ系移民がアルゼンチンに到着し、多くの黒人女性がその移民と結婚した。すでにアフリカ系の人たちの人口は少なくなっていたのもあり、彼らの存在は忘れ去られるようになった。 1990年代に新たなアフリカ諸国(カーボベルデ、ナイジェリア、セネガル、アンゴラ、コートジボワール、カメルーン、ガーナ、シエラレオネなど)による黒人移民の大移動が始まった。ここ数年、アフリカ系アルゼンチン人を守る団体であるAfrica Viveは100万?200万人のアフリカ人の子孫がアルゼンチンで生活していると計算している。 アジア系アルゼンチン人はアルゼンチンで生まれた者、もしくは外国で生まれ、後にアルゼンチン人になった者がいる。20世紀にかけて何度か大移動があったが、多くのアジア系アルゼンチン人はその時に移動した。彼らは主に、ブエノスアイレス周辺に住み、繊維産業、食料雑貨店、ビュッフェ形式のレストランなど大小様々な会社を興した。地道に仕事を続けていたので、アルゼンチンの社会から評価された。 まず、主に20世紀前半?中盤にかけて沖縄県から少数の日本人移民がやって来た。その後1960年代に韓国人がやって来て、1980年代に台湾人がやって来た。1990年代には今までで最大の数のアジア系移民がやって来た。彼らは中国本土からやって来た中国人で、2013年最終的に彼らはパラグアイ人、ボリビア人、ペルー人に次ぐ4番目に大きい外国人のコミュニティーとなった[17]。
ヨーロッパ
アラブ
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メスティーソ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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