アルゼンチン人
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先住民とみなされているメスティーソもいる[16]

その他にはボリビア、パラグアイ、ペルー、エクアドルなどの近隣諸国から来た移民などがいる。
メスティーソ

正確な人数は不明だが、全人口の中にメスティーソの混合人種がいる。遺伝子研究によれば、アルゼンチン人のフットプリントを調べるとヨーロッパ系が大多数を占めているというわけではないという結果がでている。アルゼンチンの人口に関する最も信頼の高い遺伝子研究機関のひとつによれば、アルゼンチン北東部、北西部、南部、中央部(特にブエノスアイレスの中心部)では、サンプルの人たちによる人口構成は65%がヨーロッパ人で、次いで31%のアメリカインディアン、4%のアフリカ人もいる。しかし、この研究はアルゼンチンの平均的な民族分布をしっかりと示しておらず、多様なアルゼンチン人の遺伝子が存在するということだけを示した結果となっている。また、その研究ではアルゼンチン国内でも大きな違いがみられるという結果がでている。Daniel Corachによる研究ではアルゼンチン国内の平均ではどうなるかと、さまざまな地域で調べてみるとアルゼンチン人による常染色体の78.5%がヨーロッパ系であることが分かった[21]。ある資料ではメスティーソはアルゼンチン全体では2.5%で高い地域でもせいぜい15%という結果がでている。
アフリカ

2005年に行われた遺伝子研究によれば、ブエノスアイレスの人たちのアフリカ系遺伝子の割合は2.2%であった。しかし、この数字は非常に強いアフリカ系遺伝子を持っている10%の人たちによるものが多い。アルゼンチンに住んでいる黒人、ムラート(黒人とヨーロッパ人の混血)、ザンボ(黒人と先住民の混血)はおそらく約67000人で、この中には53000人の奴隷直系血族と12000人?15000人の1950年代と1960年代に到着したカーボベルデ系ムラート移民とその子孫も含まれている。

19世紀には定期的に戦争があり、黄熱病のような病気が広まり、何千人ものヨーロッパ系移民がアルゼンチンに到着し、多くの黒人女性がその移民と結婚した。すでにアフリカ系の人たちの人口は少なくなっていたのもあり、彼らの存在は忘れ去られるようになった。

1990年代に新たなアフリカ諸国(カーボベルデナイジェリアセネガルアンゴラコートジボワールカメルーンガーナシエラレオネなど)による黒人移民の大移動が始まった。ここ数年、アフリカ系アルゼンチン人を守る団体であるAfrica Viveは100万?200万人のアフリカ人の子孫がアルゼンチンで生活していると計算している。
アジア

アジア系アルゼンチン人はアルゼンチンで生まれた者、もしくは外国で生まれ、後にアルゼンチン人になった者がいる。20世紀にかけて何度か大移動があったが、多くのアジア系アルゼンチン人はその時に移動した。彼らは主に、ブエノスアイレス周辺に住み、繊維産業、食料雑貨店、ビュッフェ形式のレストランなど大小様々な会社を興した。地道に仕事を続けていたので、アルゼンチンの社会から評価された。

まず、主に20世紀前半?中盤にかけて沖縄県から少数の日本人移民がやって来た。その後1960年代に韓国人がやって来て、1980年代に台湾人がやって来た。1990年代には今までで最大の数のアジア系移民がやって来た。彼らは中国本土からやって来た中国人で、2013年最終的に彼らはパラグアイ人、ボリビア人、ペルー人に次ぐ4番目に大きい外国人のコミュニティーとなった[17]
遺伝子研究

2005年に行われた遺伝子研究によると、多くのアルゼンチン人はアメリカ先住民の遺伝子と割合は少ないがアフリカ系の遺伝子を持っている。こちらの研究は1985年に始まった。ブエノスアイレス大学薬学部の科学チームは、ヨーロッパ系とアメリカ先住民系の遺伝子構成を調べる目的でアルゼンチンにあるPoliclinico Ferroviario Centralという病院の血液バンクで73875人のドナーから血液を分析した。そのサンプルを基にしたアルゼンチンの遺伝子地図が完成し、アルゼンチン人はヨーロッパ系遺伝子が81.47%?81.77%あり、アメリカ系遺伝子が18.23%?18.57%あるということが分かった。

もう1つの研究として、ブエノスアイレス大学のアルゼンチン人遺伝学者Daniel Corachが主導するアメリカ先住民の祖先に関するものがある。9つの州で320人によって行われたこの研究では56%の人たちが少なくとも1人以上のアメリカ先住民の祖先がいるという結果がでた。その研究はラプラタにあるブエノスアイレス大学で行われた。たとえ被験者の遺伝子がコーカサス系である可能性が高かったとしても、この遺伝子研究は再結合しないミトコンドリアDNAやY染色体でどこの国の遺伝子か特定するというだけの目的のものであり、例えば7人のヨーロッパ系曾祖父母とたった1人のアメリカ先住民系もしくはメスティーソの曾祖父母を持つ者も、先ほど述べた56%の中に入ってしまうということである。
言語

アルゼンチンでは公用語となっているスペイン語を話す人が多数を占めるが、少なくとも40の言語がある。少なくとも10万人が話す言語の中に南ケチュア語グアラニー語マプチェ語や、移民の出身地の母国語であるドイツ語、イタリア語、アラビア語のレバント方言も含まれる[22]

AbiponとChaneという2つの母国語は消滅してしまった。Vilela、Puelche、Tehuelche、Selknamという高齢者が話すが、その子供たちは話さないので消滅の危機に瀕している言語もある。

他の母国語を話す集団は、ブエノスアイレスに住んでいる人が多い6万人を超える中国人移民の、少なくとも半分の人が話している中国語を話す集団や、ブエノスアイレス地区のピグエにあるオクシタン語の集団がいる。

ウェールズ語もチュブト地区で35000人を超える人が話している。このウェールズ語は1865年にウェールズ人がアルゼンチンに移動し始めてから広まったパタゴニア方言のウェールズ語も含まれている。
宗教

キリスト教徒がアルゼンチン人の大半を占める。CONICETによる宗教に関する調査によると、約76.5%のアルゼンチン人はカトリック教徒で、11.3%は宗教に無関心で、9%がプロテスタント(7.9%のペンコテステ派も含む)、1.2%のエホバの証人、0.9%のモルモン教徒という結果が出ている[23]

ユダヤ人はアルゼンチン人の1%以下しかいないが、ブエノスアイレスはニューヨークに次ぐアメリカ大陸の中で2番目にユダヤ教徒が多い都市である。

また、アルゼンチンはラテンアメリカの中でイスラム教徒が最も少ない国である。
他国への移住

アルゼンチン国外へ移住するアルゼンチン人の多くは中産階級もしくは上流階級の人である。公式の情報によると外国には60万人のアルゼンチン人がいて、International Organization for Migrationによる情報では2001年以来、計約806369人の人たちがアルゼンチン国外に渡った。


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