アルゼンチン・ペソ
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1992年1月1日  「アウストラル」→「ペソ ($)」(10,000分の1 U$Sと等価)

なお、アルゼンチン同様スペイン統治時代の名残で自国の通貨単位を「ペソ」としている国が今でも複数存在する中南米諸国や旧宗主国のスペインでは、他のペソとの混同を避ける目的で「ペソ・アルヘンティーノ」(アルゼンチン・ペソ)の呼称が常用されている(「アウストラル時代」の約5年半を除く)。
流通硬貨と紙幣
硬貨

1992年のペソ貨導入時は1・5・10・25・50各センターボの5種であったが、1994年に1ペソ硬貨が追加され計6種となる (2001年まで)。

不定期に硬貨の改鋳が繰り返された結果、額面・デザインは同一でも材質は発行年毎に異なる場合がある(5・10・25各センターボがこれに該当)。

1センターボ硬貨(1997年に改鋳)は2001年を以って廃止されている。ペッグ制導入後の物価高で5センターボ未満の所謂「端数」は四捨五入される事が珍しくなかった事に加え、首都圏に比べ総体的に物価が割高な地方都市や郡部では流通自体が皆無となっていた為、その影響はごく限られたものであった。

法的には5・10・25・50の各センターボと1ペソ・2ペソ (2011年 - ) の流通が認められているものの、インフレの進行と電子取引の普及で5ペソ未満の硬貨が用いられる事はなく、仮に1ペソ未満の「端数」が発生したとしても、切り捨てもしくはペソ単位への切り上げで対応するのが一般的である。

2022年3月9日アルゼンチン中央銀行は硬貨の製造を停止すると決定した。決定の直前数日の間に銅とニッケルの相場が約3倍に高騰した[3]ことにより、この決定は避けられないものとなった。2017年12月より、それまでのデザインを一新した1・2・5・10ペソの硬貨が流通していたが、インフレーションの進行により購買力は失われ、さらに金属価格の高騰により材料費が額面を上回る事態となった。そこでやむなく先述の決定に至ったのだが、5・10ペソの硬貨は日常生活における必要性が残っており、製造停止には批判もある[4]

「記念硬貨」の発行は随時行われており、卑金属材質の「Circulated Quality」(同一額面の「通常貨幣」と等価で流通)の他に、「Brillant Incirculated」と呼ばれるコレクター向けに貴金属で特別鋳造された硬貨(1993年に発行された5ペソ金貨など)も存在する。

額面(流通開始年)表面の図柄裏面の図柄材質
5ctv(1992?)額面五月の太陽ジュラルミン('92 - '93及び'04 - '05)→白銅 ('93 - '95) →黄銅 ('06 - )
10ctv(1992?)国章ジュラルミン('92 - '94及び'04 - '06)→黄銅 ('06 - )
25ctv(1992?)カビルド(ブエノスアイレス市議会)ジュラルミン('92 - '93及び'09 - )→白銅('93 - '94及び'96)
50ctv(1992?)トゥクマンの館ジュラルミン
$1(1994?)五月の太陽国章白銅(外周)・ジュラルミン(中心)
$2(2011?)額面五月の太陽白銅とアルミニウムの合金(外周)・銅とニッケルの合金(中心)

紙幣

1992年のデノミ時に1、2、5、10、20、50、100ペソが発行された(「第1シリーズ」)。サイズは旧アウストラル紙幣と同様、金種に関係なく155mm×65mmで統一。“Peso”(ペソ)の後に、米ドルとのペッグ制に裏打ちされた紙幣である事を意味する文言“Convertible de Curso Legal”が記載されていた為、「ペソ・コンベルティブレ」(兌換ペソ)と呼ばれる事もあった。

1994年に1ペソ紙幣が、2011年に2ペソ紙幣がそれぞれ硬貨に置き換えられている。

「兌換ペソ」時代の1997年から1999年にかけて、デザインの一部が手直し(肖像画の人物及び基調色は据え置き)された「第2シリーズ」の紙幣への切り替えが随時実施され、「第1シリーズ」の紙幣は2000年までに流通から除外・回収を終えている。

米ドルとのペッグ制解消以降(2002年1月 - )、「兌換性」に関する文言が各紙幣から削除されているが、「第2シリーズ」以降に発行された紙幣であれば、文言の有無に関係なく法的にはこれまで通り使用できる事にはなっている。

2012年9月、肖像画の人物が刷新(急進党出身の故フリオ・アルヘンティーノ・ロカ元大統領→正義党の故エバ・ペロン元大統領夫人)された新しい100ペソ紙幣が流通を開始。新100ペソ紙幣に続き「フォークランド諸島」(アルゼンチン名「マルビナス諸島」)領有権を巡って英国(現在も同諸島を実効支配)と戦火を交えた所謂「フォークランド紛争」(1982)の勃発32周年を記念した新しい図柄の50ペソ紙幣(2014年4月 - )も追加発行されているが、刷新が予定されていた低額紙幣(5・10・20各ペソ)の内、10・20の両ペソ札に関しては、新しい図案は決定していたものの、実際の流通には至らず、5ペソ札のみ「第3シリーズ」への置き換えがなされた。

2015年には「5月広場の祖母と母たち」(所謂「国家再編成プロセス」時に行方不明となった若者・乳児の消息及び事件の真相究明を求めて結成されたアルゼンチンの人権団体)の活動を記念した100ペソ札が加わるが、こちらは期間と枚数が限定された記念貨幣である。

主要通貨との交換性が保証されていた時期に比べて、紙質と印刷技法が著しく落ちている事に加え、金種体系の見直し(低額紙幣の硬貨への置き換え及び高額紙幣の追加発行)もほとんど進んでいない為、全体的に紙幣の状態は悪い。

額面寸法色図柄(表)図柄(裏)
$2155 × 65 mm空バルトロメ・ミトレ (1821 - 1906):ブエノス・アイレス出身の政治家・ジャーナリスト・第6代アルゼンチン大統領「ミトレ博物館」(ブエノス・アイレス)
$5緑ホセ・デ・サン・マルティン (1778 - 1850):「リベルタドーレス」として南米大陸(南部)を解放へと導いたコリエンテス州出身の軍人政治家「栄光の丘」(メンドサ州)
$10茶マヌエル・ベルグラーノ (1770 - 1820):ブエノス・アイレス出身の独立運動の指導者・弁護士・アルゼンチンの国旗制定者「国旗記念碑」(サンタフェ州ロサリオ市)
$20赤フアン・マヌエル・デ・ロサス (1793 - 1877):ブエノス・アイレス出身の「カウディーリョ」(第4代・第8代ブエノス・アイレス州知事)「ブエルタ・デ・オブリガドの戦い」(ブエノス・アイレス州サン・ペドロ郡)
$50黒ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(1811 - 1888):サン・フアン州出身の教育者・作家(第7代アルゼンチン大統領)「カサ・ロサダ」(アルゼンチン大統領官邸)
$50(2014?)青アルゼンチンが現在も領有を主張しているフォークランド諸島と紛争時に同国の海兵隊が約3週間占拠したサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島の地図(人物画は無し)「アントニオ・リベロ」(1833年の抗英蜂起を指揮した「ガウチョ」)と「ダーウィン墓地」(1982年に戦没したアルゼンチン兵が埋葬されている東フォークランド島の共同墓地)、「戦艦ベルグラーノ号」
$100(?2012)紫フリオ・アルヘンティーノ・ロカ (1843 - 1914):トゥクマン州出身の軍人政治家(第9代・第14代アルゼンチン大統領)「荒野の征服」(パンパパタゴニア両地方への進出でアルゼンチンは国土を拡張)
$100(2012?)紫エバ・ペロン (1919 - 1952):ブエノスアイレス州出身の女優・後の故フアン・ペロン大統領(第29代・第41代)夫人「アラ・パキス」(旧ローマ帝国の「平和の祭壇」)
$100(2015年のみ)桃「5月広場の祖母と母たち」「広場を行進する行方不明者の家族」(ブエノスアイレス)

全面的な見直しへ

6割強の流通量を占める100ペソ紙幣が実勢レート換算で10米ドル以下に目減りし、現金決済時に支障をきたしている中、高額紙幣(200ペソと500ペソ)の追加発行を求める議案が当時の野党系会派(現与党第一党の急進党など)から提出されていたが、高インフレの存在そのものを否定していた当時の左派政権がその求めに応じる事はなかった。

政権交代から約1ヶ月経過した2016年1月15日、アルゼンチン中央銀行は貨幣のデザイン及び金種体系の全面的な見直しに着手する事を発表した:

@インフレによる貨幣の減価を認め、有名無実化した補助単位センターボ(1/100ペソ)は法的に廃貨(→ペソ単位に一元化)。

A2016年中に200・500の両ペソ紙幣を新規に発行。政治色の強いデザインが特徴であった「第3シリーズ」とは一線を画し「第4シリーズ」の紙幣では、表面にアルゼンチン各地の動物(グアナココンドル他)、裏面にそれらの動物が生息する地域の風景をそれぞれ配置。

B2017年より「第4シリーズ」の趣旨に沿った新しいデザインの20・50・100各ペソ紙幣及び1,000ペソ紙幣を発行。前の3金種に関しては古い紙幣との間に一定の併用期間を設置。

C2017年より1・2・5・10の各ペソ硬貨を新たに発行(裏表の図案と材質は未定)。こちらも旧貨との併用後、置き換え。

2023年5月23日までに新たに2,000ペソ紙幣が流通を開始した[5]。その後もインフレは止まらず、2024年5月7日には10,000ペソ紙幣(当時のレートで11USドル、1700円に相当)が流通を開始し、2024年中には20,000ペソ紙幣の登場が中央銀行により予告されている[6]
新通貨導入構想

ブラジルとの共通通貨導入は長年議論されており、2019年には新通貨『レアル・ペソ』を創設することで両国首脳が合意したものの、ブラジル中央銀行が慎重姿勢を保ち実現しなかった[7]。2023年にはまた別の共通通貨導入で両国首脳が協議を再開する見込みと報じられている[8]

2023年11月に行われた大統領選挙(英語版)において、アメリカ合衆国ドルをアルゼンチンの通貨に制定させることを公約に掲げるハビエル・ミレイ候補が当選したことにより、将来的にアルゼンチン・ペソに代わってアメリカ合衆国ドルがアルゼンチンの法定通貨になることも予想されている。
脚注[脚注の使い方]^ a b “アルゼンチン、通貨ペソを大幅切り下げ 「経済のショック療法」と新大統領”. BBC News. BBC. (2023年12月13日). https://www.bbc.com/japanese/67700299 2024年5月8日閲覧。 
^ “アルゼンチンが市場再開、次期大統領のドル化政策に最初の試練”. ブルームバーグ (2023年11月21日). 2023年12月12日閲覧。
^ ロシアのウクライナ侵攻の影響もある


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