アルジャジーラ
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BBCのアラビア語版ニュースチャンネルに関して英国ではBBCがオイルマネーに屈したとの声も聞かれたというが、同チャンネルにとっての大きな障害は、他の英国版チャンネル同様の報道姿勢を貫こうとするBBCと、体制側にとって好ましくない内容の放送を望まないサウジアラビア側との間に生じた軋轢だった。

この問題は、BBCが英国に在住していたサウジアラビア出身の反体制イスラーム活動家の取材をしたり、サウジアラビアにおける人権蹂躙問題の報道をしたりしたことで決定的となっていった。そして1996年4月、Orbit側がアラビア語ニュースチャンネルの送信を中止することで、同プロジェクトは終焉を迎え、BBCによる訓練を受けた報道関係者らも職場を失った。

なおその後BBCのアラビア語テレビ放送(BBC Arabic)が2008年3月11日に改めて開局している。中東情勢が緊迫し、アラビア語によるニュースチャンネルの重要性が認識されていた頃の再出発であった。かつてOrbitと合同で進められたプロジェクトとは異なり、BBCにより放送されているワールドサービスのチャンネルという位置付けで、画面デザインや報道姿勢も英語版BBC放送に非常に近いものとなっている。
開局へ

カタールを拠点とするアラビア語ニュース報道局の設立を計画していた首長ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーは、BBCとOrbitの合弁事業が頓挫したのを受けて、BBCにて訓練を受けた関係者を大量に雇い入れた。これがアルジャジーラ開局を支えた人材となった。
開局初期

1996年11月1日に開局。放送機材はソニーが全て請け負った[要出典]。当初は6時間のみの放送で、1997年に12時間の半日放送となった。24時間放送に拡大したのは1999年のことである。
知名度の拡大へ

2001年アメリカのアフガニスタン侵攻の報道において、特派員タイシール・アッルーニーの活躍により、アルジャジーラの名が広く知られるようになる。アルカーイダから送付された、オサマ・ビンラディンのメッセージの映像を独占放映したり、アフガニスタン国内から戦争実況を中継したりなどの報道活動により一躍注目を集め、「中東のCNN」と形容された。

同年12月15日、アフガニスタンに入国しようとしたカメラマンサミ・アルハジが、パキスタンの入国管理で拘束され、アメリカ軍に引き渡された。アメリカ軍はアルハジの容疑を「ビンラーディンのビデオを撮影した」「アフガンにミサイルを買いに行った」「9.11テロ後、アルカーイダに資金援助していた」などと頻繁に変更したが、いずれも立証することはできなかった。

しかし、アメリカ軍はアルハジを「敵性戦闘員」と見なして裁判に掛けることなく、キューバグアンタナモにある米軍基地に設けられたグアンタナモ湾収容キャンプに拘束し続けた。アルハジの弁護士によれば、彼が拘束されている罪状は全くの口実で、取り調べの内容は、アルジャジーラとアルカーイダの結びつきについて自白させようとするものであり、またアルジャジーラの内情をスパイとして提供するなら釈放すると持ちかけられたという。2008年5月2日、ようやく釈放され、アルハジは出身国のスーダンに帰国した。

2003年イラク戦争では、イラク市民の戦争被害やアメリカ兵の遺体映像などを流すなど、欧米メディアとは異なる視点のニュースを伝える姿勢は中東、ムスリム社会に於いて存在価値をますます高めている。この戦争では、アメリカ軍のミサイルバグダード支局に命中し、特派員ターリク・アイユーブ(英語版、アラビア語版)が死亡している。

2005年6月、刷新開局。これまで使用してきたアラブ調のアイキャッチ等を一新した。

2006年11月1日、開局10周年を迎え、これまでの局の足跡を辿る番組のほか、子供と大人が討論する番組など、様々な特別記念番組を放送。また、これまでに殉職したスタッフに対して社員一同による黙祷を行った。この他、開局10周年にちなみ、多くの新しい企画が開始された。

2013年1月2日、アメリカ合衆国元副大統領アル・ゴアとジョエル・ハイアット(英語版)が設立したカレントTV(英語版)の買収を発表した[4]。買収額は500億ドルのうち、ゴアへの譲渡額は100億円であった。これによって、ゴアは産油国カタールから巨額の利益を得たという批判があることを認めている。カレントTVは、アルジャジーラ・アメリカ(後述)として再始動した。
アルジャジーラに対する圧力・取材禁止措置

2001年9月11日以降、対テロ戦争国策に掲げる際のアメリカ合衆国連邦政府においては、ビンラディンからのテロを正当化するメッセージをそのまま放送したことから、「敵対勢力(テロ組織)の主張を発信し、宣伝している」として問題視された。アルジャジーラ側は「あらゆる観点を取り上げているだけ」と反論したが、これによって、アルジャジーラとタイアップしていたCNNなど、いくつかの報道機関に政治的圧力が加えられ、その放送割り当て時間が削減された。

更には、2005年11月22日付のイギリスの大衆紙デイリー・ミラーによると、「アメリカのブッシュ大統領が、イラク戦争のファルージャ攻撃において、ドーハのアルジャジーラ本部にも空爆を意図していた」としている。これに伴い、アルジャジーラはスタッフやキャスト、あるいはその家族を揃えての批判キャンペーンを行った。

また、イラク戦争中に米兵の遺体を放映したことで、NYSE MKTへの立ち入りを禁止されたほか、最近ではチュニジアの反体制運動家へのインタビューが原因で、在カタールのチュニジア大使館員が全員引き上げるなど、報道内容が政治問題化してしまう事もしばしばある。

2011年エジプト騒乱では、エジプトでの取材許可を取り消された[5]ほか衛星経由での伝送を妨害されるなどしたが、精力的な現地レポートを続け話題となった。


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