アルジャジーラ
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放送機材はソニーが全て請け負った[要出典]。当初は6時間のみの放送で、1997年に12時間の半日放送となった。24時間放送に拡大したのは1999年のことである。
知名度の拡大へ

2001年アメリカのアフガニスタン侵攻の報道において、特派員タイシール・アッルーニーの活躍により、アルジャジーラの名が広く知られるようになる。アルカーイダから送付された、オサマ・ビンラディンのメッセージの映像を独占放映したり、アフガニスタン国内から戦争実況を中継したりなどの報道活動により一躍注目を集め、「中東のCNN」と形容された。

同年12月15日、アフガニスタンに入国しようとしたカメラマンサミ・アルハジが、パキスタンの入国管理で拘束され、アメリカ軍に引き渡された。アメリカ軍はアルハジの容疑を「ビンラーディンのビデオを撮影した」「アフガンにミサイルを買いに行った」「9.11テロ後、アルカーイダに資金援助していた」などと頻繁に変更したが、いずれも立証することはできなかった。

しかし、アメリカ軍はアルハジを「敵性戦闘員」と見なして裁判に掛けることなく、キューバグアンタナモにある米軍基地に設けられたグアンタナモ湾収容キャンプに拘束し続けた。アルハジの弁護士によれば、彼が拘束されている罪状は全くの口実で、取り調べの内容は、アルジャジーラとアルカーイダの結びつきについて自白させようとするものであり、またアルジャジーラの内情をスパイとして提供するなら釈放すると持ちかけられたという。2008年5月2日、ようやく釈放され、アルハジは出身国のスーダンに帰国した。

2003年イラク戦争では、イラク市民の戦争被害やアメリカ兵の遺体映像などを流すなど、欧米メディアとは異なる視点のニュースを伝える姿勢は中東、ムスリム社会に於いて存在価値をますます高めている。この戦争では、アメリカ軍のミサイルバグダード支局に命中し、特派員ターリク・アイユーブ(英語版、アラビア語版)が死亡している。

2005年6月、刷新開局。これまで使用してきたアラブ調のアイキャッチ等を一新した。

2006年11月1日、開局10周年を迎え、これまでの局の足跡を辿る番組のほか、子供と大人が討論する番組など、様々な特別記念番組を放送。また、これまでに殉職したスタッフに対して社員一同による黙祷を行った。この他、開局10周年にちなみ、多くの新しい企画が開始された。

2013年1月2日、アメリカ合衆国元副大統領アル・ゴアとジョエル・ハイアット(英語版)が設立したカレントTV(英語版)の買収を発表した[4]。買収額は500億ドルのうち、ゴアへの譲渡額は100億円であった。これによって、ゴアは産油国カタールから巨額の利益を得たという批判があることを認めている。カレントTVは、アルジャジーラ・アメリカ(後述)として再始動した。
アルジャジーラに対する圧力・取材禁止措置

2001年9月11日以降、対テロ戦争国策に掲げる際のアメリカ合衆国連邦政府においては、ビンラディンからのテロを正当化するメッセージをそのまま放送したことから、「敵対勢力(テロ組織)の主張を発信し、宣伝している」として問題視された。アルジャジーラ側は「あらゆる観点を取り上げているだけ」と反論したが、これによって、アルジャジーラとタイアップしていたCNNなど、いくつかの報道機関に政治的圧力が加えられ、その放送割り当て時間が削減された。

更には、2005年11月22日付のイギリスの大衆紙デイリー・ミラーによると、「アメリカのブッシュ大統領が、イラク戦争のファルージャ攻撃において、ドーハのアルジャジーラ本部にも空爆を意図していた」としている。これに伴い、アルジャジーラはスタッフやキャスト、あるいはその家族を揃えての批判キャンペーンを行った。

また、イラク戦争中に米兵の遺体を放映したことで、NYSE MKTへの立ち入りを禁止されたほか、最近ではチュニジアの反体制運動家へのインタビューが原因で、在カタールのチュニジア大使館員が全員引き上げるなど、報道内容が政治問題化してしまう事もしばしばある。

2011年エジプト騒乱では、エジプトでの取材許可を取り消された[5]ほか衛星経由での伝送を妨害されるなどしたが、精力的な現地レポートを続け話題となった。

2017年5月、サウジアラビアバーレーンUAEエジプトの各国は、アルジャジーラがイラン寄りの報道をしたことを理由に放送の遮断に踏み切った。翌月、各国はカタールとの国交断絶を表明(2017年カタール外交危機)し、受信の早期回復は絶望的な状況となった[6]。また、断交した4か国は2017年6月24日までに、カタールに対しアルジャジーラの閉鎖を含む13項目にわたる要求を送付して圧力を加えている[7]

2024年4月1日、イスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相は同国内で活動するアルジャジーラの閉鎖に向けて即時の行動をとると発表。同日、同国の国会は国家安全保障を脅かすと考えられる外国メディアの一時閉鎖を認める法案を可決し、ネタニヤフはアルジャジーラが今後イスラエル国内から放送されることはないと宣言した[8][9]。5月5日、イスラエル政府はイスラエル国内におけるアルジャジーラの活動を停止させることを決定、エルサレムのアンバサダー・ホテルにおかれていたアルジャジーラの事務所は警察の強制捜査を受けて機材を押収された[10]
主な番組
アラビア語版ニュースチャンネル

アルジャジーラのテレビ番組は報道だけではなく、時には出席者すべてが途中退席してしまうほど白熱する討論番組「反対方向(アラビア語: ??????? ???????‎)」、著名なイスラム法学者ユースフ・アル=カラダーウィークルアーンの知識にのっとり、法から性生活に至るまで、幅広い視聴者からの質問に回答する宗教番組「シャリーアと生活(アラビア語: ??????? ???????‎)」も高い評価を受けている。
チャンネル群

チャンネル名説明開局
Al Jazeeraアラビア語。当初はこのチャンネルのみだった。1996年11月1日
beIN Sportsスポーツチャンネル。開局後チャンネル数が増加。2003年11月1日
Al Jazeera Mubasherアラビア語ライブ中継チャンネル。会議や群衆デモ等を編集・コメント無しでライブ(Mubasher)放送。2005年4月15日
Al Jazeera Children's Channelアラビア語子供チャンネル。道徳教育やアニメなど。2005年9月9日
Al Jazeera English英語チャンネル。かつてはAl Jazeera Internationalと呼ばれていた。2006年11月15日
Al Jazeera Documentary Channelアラビア語ドキュメンタリー専門チャンネル。海外番組のアラビア語訳も含む。2007年1月1日
Al Jazeera Mubasher Misrアラビア語ライブ中継チャンネルから派生したエジプト争乱報道用チャンネル。2011年
Al Jazeera Americaアメリカ向け英語チャンネル。かつてはcurrenttvと呼ばれていた。視聴者数の伸び悩み、及び原油価格の低下などの影響によるリストラ計画の一環により2016年4月30日をもって閉局する事となった。2013年8月21日
Al Jazeera Balkans2011年に開局したバルカン地域向けチャンネル。サラエヴォが拠点。2011年11月11日
Al Jazeera Turk2011年2月、トルコ語版設立に向けた動きとして、トルコのTVチャンネルCine 5を買収したことが報道された。[11]2014年(オンライン版)

Al Jazeera English

カタールドーハに本局を置くアルジャジーラの英語版チャンネル。


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