アルクィンはラテン語の知識をフランク王国に伝えた。彼の多くの業績はDe Litteris Colendisをはじめとして現在も残されている。 その他の業績として、彼が仕事で使用していた文法および修辞と論理的推論の教育におけるいくつかの手引き書がある。それらは、対話の形式で書かれており、最後の対話者はカール大帝とアルクィンである。 また、彼はtreatise de Fide Trinitatis、聖書の注釈など、いくつかの神学の論文を書いた。 彼は、イングランドの友人や、ザルツブルクの司教のアルノー(彼もまたカール大帝の助言者の一人であった。)、またカール大帝に多くの手紙を書いた。手紙は311通は現存している。主に敬虔な黙想録で満たされるが、当時の文学と社会状況がよくうかがえるもので、カロリング朝の人文主義の歴史に対する最も信頼できる資料である。 カール大帝が795年教皇レオ3世が選出された際に送った外交書簡はアルクィンの手になるものと考えられている[4]。この書簡は、キリスト教のための戦争、信仰の擁護などをフランク国王の職務と述べ、ローマ教皇の職務は祈りを通じて国王を補佐することであると述べている。 Fortunatus様式で書かれたいくつかの優雅な手紙に加えて、彼はいくつかの長編詩およびヨークの教会の詩の全体の歴史を書いた。例えば、Versus de patribusやregibus et sanctis Eboracensis ecclesiaeである。 なお、ヨーク大学のアルクィン・カレッジは彼に由来する。
教育書
神学書
書簡
詩
その他
脚注^ カロリング朝ルネサンスは主に3つの期間に分けられる。第1期は、宮廷にアルクィンが到来するまでの、イタリア人が枢要な地位を占めた期間。第2期は、アルクィンおよびアングロ・サクソン人が支配的な期間。第3期は、804年から始まる西ゴート族のテオドゥルフ(Theodulf)の影響が優勢だった期間である。
^ 鈴木宣明 1994, pp. 387?414.
^ ハンス・シュルツェ『西欧中世史事典II』p.248。
^ ハンス・シュルツェ『西欧中世史事典II』p.136、五十嵐修 2001, pp. 151?153
参考文献
鈴木宣明『福音に生きる』 聖母の騎士社<聖母文庫>、1994年。
ハンス・K・シュルツェ
五十嵐修『地上の夢キリスト教帝国 : カール大帝の「ヨーロッパ」』 講談社〈講談社選書メチエ, 224〉、2001年
上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成 第6巻 カロリング・ルネサンス』 平凡社、1992年。ISBN 978-4582734164
アルクイヌス著、山崎裕子訳「文法学」 / 別宮幸徳訳「ヨーク教会の司教、王ならびに聖人たちについて」
外部リンク英語版ウィキソースにAlcuin著の原文があります。英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。Alcuin
『アルクイン
『アルクイヌス
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