アルキメデス
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実際には、アルキメデスは自身が論述『浮体の原理』で主張した、今日アルキメデスの原理と呼ばれる流体静力学上の原理を用いて解決したのではと考えられる。この原理は、物質を流体に浸した際、それは押し退ける流体重量と等しい浮力を得ることを主張する[13]。この事実を利用し、天秤の一端に吊るした冠と釣り合う質量の金をもう一端に吊し、冠と金を水中に浸ける。もし冠に混ぜ物があって比重が低いと体積は大きくなり、押し退ける水の量が多くなるため冠は金よりも浮力が大きくなるので、空中で釣り合いのとれていた天秤は冠側を上に傾くことになる。ガリレオ・ガリレイもアルキメデスはこの浮力を用いる方法を考え付いていたと推測している[12]
アルキメディアン・スクリュー詳細は「アルキメディアン・スクリュー」を参照アルキメディアン・スクリューは効率的な揚水に威力を発揮する。

工学分野におけるアルキメデスの業績には、彼の生誕地であるシラクサに関連する。ギリシア人著述家のアテナイオスが残した記録によると、ヒエロン2世はアルキメデスに観光、運輸、そして海戦用の巨大な船「シュラコシア号(英語版)」 の設計を依頼したという[14]。シュラコシア号は古代ギリシア・ローマ時代を通じて建造された最大の船で[15]、アテナイオスによれば搭乗員数600、船内に庭園ギュムナシオン、さらには女神アプロディーテーの神殿まで備えていた。この規模の船になると浸水も無視できなくなるため、アルキメデスはアルキメディアン・スクリューと名づけられた装置を考案し、溜まった水を掻き出す工夫を施した。これは、円筒の内部にらせん状の板を設けた構造で、これを回転させると低い位置にある水を汲み上げ、上に持ち上げることができる。アルキメディアン・スクリューは、ねじ構造を初めて機械に使用した例として知られている。[16]。ウィトルウィウスは、この機構はバビロンの空中庭園灌漑するためにも使われたと伝える[17][18]。現代では、このスクリューは液体だけでなく石炭の粒など固体を搬送する手段にも応用されている。
アルキメデスのクレーン

アルキメデスのクレーンとは、シラクサ防衛のために設計された兵器の一種である。「シップ・シェイカー」(the ship shaker) とも呼ばれるこの装置は、クレーン状の腕部の先に吊るされた金属製の鉤爪を持つ構造で、この鉤爪を近づいた敵船に引っ掛けて腕部を持ち上げることで船を傾けて転覆させるものである。2005年、ドキュメント番組『Superweapons of the Ancient World』でこれが製作され、実際に役に立つか検証してみたところ、クレーンは見事に機能した[19][20]アルキメデスは海岸に複数のを並べて放物面反射器(英語版)として太陽光線を集め、シラクサを攻撃する洋上の船に火災を起こしたという説がある。
「アルキメデスの熱光線」は嘘か真実か

2世紀の著述家ルキアノスは、紀元前214年-紀元前212年のシラクサ包囲の際にアルキメデスが敵船に火災を起こして撃退したという説話を記している。数世紀後、トラレスのアンテミオスはアルキメデスの兵器とは太陽熱取りレンズだったと叙述した[21]。これは太陽光線をレンズで集め、焦点を敵艦に合わせて火災を起こしていたもので「アルキメデスの熱光線」と呼ばれたという。

このようなアルキメデスの兵器についての言及は、その事実関係がルネサンス以降に議論された。ルネ・デカルトは否定的立場を取ったが、当時の科学者たちはアルキメデスの時代に実現可能な手法で検証を試みた[22]。その結果、念入りに磨かれた青銅の盾を鏡の代用とすると太陽光線を標的の船に集めることができた。これは、太陽炉と同様に放物面反射器の原理を利用したものと考えられた。1973年にギリシアの科学者イオアニス・サッカスがアテネ郊外のスカラガマス(英語版)海軍基地で実験を行った。縦5フィート(約1.5m)横3フィート(約1メートル)の銅で皮膜された鏡70枚を用意し、約160フィート(約50m)先のローマ軍艦に見立てたベニヤ板製の実物大模型に太陽光を集めたところ、数秒で船は炎上した。ただし、模型にはタールが塗られていたため、実際よりも燃えやすかった可能性は否定できない[23]

2005年10月、マサチューセッツ工科大学 (MIT) の学生グループは一辺1フィート(約30cm)の四角い鏡127枚を用意し、木製の模型船に100フィート(約30m)先から太陽光を集中させる実験を行った。やがて斑点状の発火が見られたが、空が曇り出したために10分間の照射を続けたが船は燃えなかった。しかし、この結果から気象条件が揃えばこの手段は兵器として成り立つと結論づけられた。MITは同様な実験をテレビ番組『怪しい伝説』と協同しサンフランシスコで木製の漁船を標的に行われ、少々の黒こげとわずかな炎を発生させた[24]。しかし、シラクサは東岸で海に面しているため、効果的に太陽光を反射させる時間は朝方に限られてしまう点、同じ火災を起こす目的ならば実験を行った程度の距離では火矢やカタパルトで射出する太矢の方が効果的という点も指摘された[25]
その他

てこについて記述した古い例は、アリストテレスの流れを汲む逍遙学派アルキタスに見られる[26][27]が、アルキメデスは『平面の釣合について』において、てこの原理を説明している。4世紀のエジプトの数学者パップスは、アルキメデスの言葉「私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう。(: δ?? μοι π? στ? κα? τ?ν γ?ν κιν?σω)」を引用して伝えた[28]プルタルコスは、船員が非常に重い荷物を運べるようにするためにアルキメデスがブロックと滑車機構をどのように設計したかを述べた[29]。また、アルキメデスは第一次ポエニ戦争の際にカタパルトの出力や精度を高める工夫や、オドメーター(距離計)も発明した。オドメーターは歯車機構を持つ荷車で、決まった距離を走る毎に球を箱に落として知らせる構造を持っていた[30]

マルクス・トゥッリウス・キケロは対話篇国家論』にて紀元前129年にあった逸話を採録している。紀元前212年にシラクサを占領した将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスは、2台の機器をローマに持ち帰った。これは、太陽と月そして5惑星の運行を模倣する天文学用機器であり、キケロはタレスエウドクソスが設計した同様の機器にも触れている[31]。問答では、マルケッルスは独自のルートを経由しシラクサから持ち帰って1台を手元に留め、もう1台はローマの美徳の神殿 (ヴィルトゥースの神殿、Temple of Virtue) に寄贈した。キケロは、マルケッルスの機器についてガイウス・スルピキウス・ガッルスルキウス・フリウス・ピルスに説明する下りを残している[31]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}Hanc sphaeram Gallus cum moveret, fiebat ut soli luna totidem conversionibus in aere illo quot diebus in ipso caelo succederet, ex quo et in caelo sphaera solis fieret eadem illa defectio, et incideret luna tum in eam metam quae esset umbra terrae, cum sol e regione.
訳:ガルスが球を動かすと、天空に見立てた青銅製の装置上で何度も回転が起り、月が太陽を追った。そして月と太陽が一直線に並ぶところでは月の影が地球に落ち、日食が再現された[31][32][33]


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