この法則の発見についての故事が残っている。
当時、ギリシア人の植民都市であったシラクサの僭主ヒエロン2世が金細工師に金(きん)を渡し、純金の王冠を作らせた。ところが、金細工師は金に混ぜ物をして王から預かった金の一部を盗んだ、という噂が広まった。そこで、ヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じた。アルキメデスは困り果てたが、ある日風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見て、その瞬間アルキメデスの原理のヒントを発見したと言われる。
この時、浴場から飛び出たアルキメデスは「ヘウレーカ(希: ΕΥΡΗΚΑ)、Eureka、ヘウレーカ」(分かったぞ)と叫びながら裸で走っていったという[注 3]。
アルキメデスは、王冠と同じ質量の金塊を用意し、これと王冠を天秤棒に吊るしてバランスが取れることを確認した後に、天秤棒に吊るしたまま両方とも水を張った容器に入れた。空気中では天秤棒は、てこの原理によりバランスが保たれている。てこの原理は水中でも変わらないので、もし金塊の体積と王冠の体積が同じであれば、つまり金塊の密度と王冠の密度が同じであれば、両方を水中に沈めても、天秤棒のバランスは保たれるはずである。
しかし、実際には水中でのバランスが崩れたために、王冠と金塊の密度が違うということが判明し、金細工師の不正が明らかになった[1]。これがアルキメデスの発見した浮力の原理である。金細工師の名は伝えられていないが、その後、死刑になったと伝えられる。
アルキメデスとその後の学者たちは、この法則が自然科学的な法則であるとは気付かず、数学的な原理であると考えた。
アルキメデスが発見した原理は浮力の原理だが、王冠のエピソードによって、物質による密度の違いを説明する際に引き合いに出される場合がある。
欧州の学校では、アルキメデスの原理により、物体の体積を量る実験を行う時にEureka can(displacement can、ユリーカ缶)という側面上部に斜め下向きの排水管が1つ付いた器具をよく使用する。排水管の位置以上に水を入れて流れ出るのを待ってから、排水管の下にメスシリンダーを設置して、排水量を測定する。
脚注[脚注の使い方]^ 空気中に出ている部分の浮力を無視していることに注意。
^ 氷の方が密度が小さく、温度によっても異なるがρ氷 = 920 kg/m3、水は ρ水 = 1000 kg/m3 程度であり、かなりの差があることが分かっている。
^ もっとも、当時の古代ギリシアでは人間は裸で運動するのが普通で、裸で外を走ったり公衆の面前で裸になったりしても特段に珍しいことではなかった。
参考文献^ “ ⇒The Golden Crown (Introduction)” (英語). New York University. 2012年4月12日閲覧。
関連項目
アルキメデス
流体静力学
浮力
Eureka
アイソスタシー
海面上昇
典拠管理データベース: 国立図書館
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