アルキダモス2世
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二、三度目の遠征でも同様に糧秣が尽き次第帰国した[3]。紀元前429年にはプラタイアに同盟国軍を含めた軍を率いて向かったアルキダモスは戦争での中立を要求したが、拒否された。そこで彼は早期決着を目論んでプラタイアを攻撃したが、早期決着がつかないと判断すると持久戦に切り替え、包囲戦を行った。彼は盛り土作戦、火攻めなどあらゆる手を使ってプラタイアを攻めたが、ことごとく失敗したため、一部を残して帰国した[4]。その後、紀元前427年ないし紀元前426年の夏の前に彼は死に、次の王位には彼の子のアギス2世が就き、戦争の指揮を引き継いだ。
参考文献
トゥキュディデス著、小西晴雄訳、『トゥーキュディデース 世界古典文学全集11』、筑摩書房、1971年
ヘロドトス著、松平千秋訳、『歴史』(中)、岩波書店、1972年
脚注・出典^ ヘロドトス, VI, 71
^ トゥキュディデス, I. 10-23
^ トゥキュディデス, I. 47, 55; III, 1
^ トゥキュディデス, I. 71-78
関連項目
ペロポネソス戦争
『アカルナイの人々』
先代
レオテュキデススパルタ王(エウリュポン朝)
紀元前476年-紀元前427年次代
アギス2世
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