アルカーイダ
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2002年にボスニアで押収された文書によると、アルカーイダは慈善団体を大々的に悪用して世界中の工作員に金銭的・物質的な支援を行った[60]。特にアルカーイダは国際イスラム救援機構(IIRO)とイスラム世界同盟(MWL)という2つの団体を活用した。IIROは世界中のアルカーイダとつながりを持っており、アルカーイダの副司令官のアイマン・アル・ザワヒリとつながっていた。ザワヒリの兄弟はアルバニアのIIROに勤務し、アルカーイダのために積極的な人材募集を行っていた[61]。 MWLはアルカーイダの主要資金源である3つの慈善団体の1つだった[61]

一説によると、ブッシュ家と深い関係にあるサウジアラビア王族のバンダル・ビン・スルターン(又はその背後のサウジアラビア総合情報庁)が、アルカーイダなどの過激派に対して、隣国イラクシーア派の軍事大国のシリアイランを弱体化させる目的に影で支援してきたとされ、駐シリアヨルダン大使やイラン、一部のジャーナリスト、学者は、アルカーイダの真の指導者はバンダルであると主張している[62][63][64]

しかしながら2004年の同時多発テロに関する独立委員会の報告書はサウジからアルカーイダへの支援の証拠は見つからなかったと表明している。
カタールの支援疑惑幹部のハリド・シェイク・モハメド「en:Qatar and state-sponsored terrorism」および「2017年カタール外交危機」も参照

数人のカタール市民がアルカーイダへの資金提供で告発されている。例えばカタール市民であり、スイスを本拠とする非政府組織(NGO)アルカラマを設立した人権活動家であるアブド・アル・ラーマン・アル・ヌアイミ(Abd Al-Rahman al-Nuaimi)などである。 2013年12月18日、米国財務省はアルカーイダ支援活動により、ヌアイミをテロリスト指定した[65]。米国財務省によると、ヌアイミは「イラクのアルカーイダとカタールの寄付者を仲介して、イラクのアルカーイダに対する財政支援を手助けした」[65]

ヌアイミはイラクのアルカーイダに対する毎月200万ドルの資金移動を管理し、イラクのアルカーイダの上級将校とカタール市民の仲介者としての役割を果たしたと非難されている[65][66]。ヌアイミはアルカーイダのシリア使節団の団長アブハリド・アルスリ(Abu-Khalid al-Suri)との関係を楽しんでいたとも言われている。アブハリド・アルスリは2013年にアルカ?イダに対して60万ドルの送金を行った[65][66]。ヌアイミはアブド・アル・ワハッブ・ムハンマド「アブド・アル・ラーマン・アル・フメイカーニ」(Abd al-Wahhab Muhammad 'Abd al-Rahman al-Humayqani)とも関連していることが知られている。フメイカーニはイエメンの政治家で、アルカラマの創始者の一人であり、2013年にアメリカ合衆国財務省が特別指定グローバルテロリスト(SDGT)に指定した人物である[67]。アメリカ当局はフメイカーニがアルカラマでの地位を悪用して、アラビア半島のアルカーイダ(AQAP)の代理として資金調達を行ったと主張した。AQAPの有名人であるヌアイミは、イエメンに拠点を置くAQAP加盟組織への資金流入を手助けしたとも言われている。ヌアイミは最終的にAQAPに資金を供給するためにフメイカーニが指示した慈善団体に投資したと非難された[65][67] 。アメリカ合衆国財務省指定の約10か月後、ヌアイミは英国での事業を行うことも制限された[68]

もう一人のカタール市民はカリファ・モハメッド・トゥルキ・スバイ(Kalifa Mohammed Turki Subayi)である。2008年6月5日、スバイは「湾岸に拠点を置くアルカーイダの投資家」として米国財務省に制裁された。2008年、スバイはアルカーイダの上級指導者に対する財政的・物質的支援の提供容疑で国連安全保障理事会の制裁リストにも追加された[66][69]。スバイはアルカーイダの新兵を南アジアの訓練キャンプに送り込んだと言われている[66][69]。スバイはハリド・シェイク・モハメド(Khalid Sheikh Mohammed)を財政的に支援していた。9月11日付委員会の報告書によると、ハリドはアメリカ同時多発テロ事件の起案者とされるアルカーイダの上級将校である[70]

カタール最大のNGOであるカタール・チャリティもアルカーイダの隠れ蓑になっていた。同団体の元メンバーで、アルカーイダから亡命してきたアル・ファドルが法廷で証言したところによると、カタールチャリティのディレクターのアブドラ・モハメッド・ユセフ(Abdullah Mohammed Yusef)はアルカーイダと民族イスラーム戦線の両方に所属していた。民族イスラーム戦線はスーダンの政治団体であり、1990年代初頭にオサマ・ビン・ラディンにスーダンの隠れ家を提供していた[59]

アメリカ合衆国対エナム・M・アーナウトの裁判に提出された文書により、1993年にビン・ラディンがカタール・チャリティは海外のアルカ?イダ工作員への財政的支援を行うために使用される団体の1つだと述べたことが明らかになった[71]。ビン・ラディンはまたエジプト大統領のホスニー・ムバーラクの暗殺失敗により1995年以前には可能だった慈善団体の悪用が難しくなったと不平を述べたことも明らかになった[71]。カタール・チャリティがチェチェンのアルカーイダ構成員に財政的支援を与えたことも明らかになった。


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