アルカーイダ
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2011年にビンラディンの自宅事務所を襲撃して押収した文書によると、2002年時点で中核となる構成員は170人だった[51]。その後アルカーイダは2006年時点で40か国に推定数千人の指揮官を潜入させていた[52]。しかし2009年の時点で活動中の指揮官は200?300人にすぎなかった[53]

2004年のBBCのドキュメンタリー「The Power of Nightmares」によると、アルカーイダの結びつきは非常に弱いため、ビンラディンと小さな派閥以外は存在しているとは言い難かった。テロ容疑での多くの容疑者が逮捕されたが、有罪判決を受けたアルカーイダの構成員はとても少なく、アルカーイダという名目を満たすような広範な実体が存在したかどうか疑わしいと報じられた[54]
戦闘部隊

ロバート・キャシディによると、アルカーイダは2006年時点で2つの部隊を維持しており、イラクパキスタンの地元反乱軍と活動を共にしている。アルカーイダの戦闘部隊は最初はソビエト・アフガニスタン戦争における「反乱軍として組織され、訓練され、装備された」数万人の兵士だった。この部隊は主にサウジアラビアやイエメンのムジャヒディンによって構成されており、兵士たちの多くはボスニアソマリアで世界的なジハードのために戦った。別の一団は西洋に住んでいて初歩的な戦闘訓練を受けた兵士たちで、2006年の時点で1万人ほどが居た [55]
資金
サウジアラビアの支援

1990年代のアルカーイダはオサマビンラディンの個人財産[56]とヘロイン取引、クウェートやサウジアラビアその他のイスラム湾岸諸国の支援者からの寄付で資金を賄っていた[56]。 2009年にアメリカ政府内部で「サウジアラビア発のテロ資金は依然として深刻な懸念」という電報を送ったことをウィキリークスが暴露した[57]

サウジアラビアがアルカーイダを支援しているという最初の証拠は、ボスニア警察が2002年にサラエボで押収したアルカーイダ初期の資金提供者のリスト「ゴールデンチェーン」である[58]。アルカーイダの亡命者ジャマル・アル・ファドルによって検証された手書きのリストには、寄付者と受益者の両方の名前が記されていた[58] [59]。オサマ・ビン・ラディンの名前は受益者として7回登場し、寄付者にはアデル・バタジ(Adel Batterjee)やワエル・ハムザ・ジュライダン(Wael Hamza Julaidan)など20人のサウジアラビアと湾岸を拠点とするビジネスマンや政治家が記されていた[58]。アデル・バタジは2004年に米国財務省によりテロ資金供与者に指定された。ワエル・ハムザ・ジュライダンはアルカーイダの創設者の一人とみなされている[58]

2002年にボスニアで押収された文書によると、アルカーイダは慈善団体を大々的に悪用して世界中の工作員に金銭的・物質的な支援を行った[60]。特にアルカーイダは国際イスラム救援機構(IIRO)とイスラム世界同盟(MWL)という2つの団体を活用した。IIROは世界中のアルカーイダとつながりを持っており、アルカーイダの副司令官のアイマン・アル・ザワヒリとつながっていた。ザワヒリの兄弟はアルバニアのIIROに勤務し、アルカーイダのために積極的な人材募集を行っていた[61]。 MWLはアルカーイダの主要資金源である3つの慈善団体の1つだった[61]

一説によると、ブッシュ家と深い関係にあるサウジアラビア王族のバンダル・ビン・スルターン(又はその背後のサウジアラビア総合情報庁)が、アルカーイダなどの過激派に対して、隣国イラクシーア派の軍事大国のシリアイランを弱体化させる目的に影で支援してきたとされ、駐シリアヨルダン大使やイラン、一部のジャーナリスト、学者は、アルカーイダの真の指導者はバンダルであると主張している[62][63][64]

しかしながら2004年の同時多発テロに関する独立委員会の報告書はサウジからアルカーイダへの支援の証拠は見つからなかったと表明している。
カタールの支援疑惑幹部のハリド・シェイク・モハメド「en:Qatar and state-sponsored terrorism」および「2017年カタール外交危機」も参照

数人のカタール市民がアルカーイダへの資金提供で告発されている。例えばカタール市民であり、スイスを本拠とする非政府組織(NGO)アルカラマを設立した人権活動家であるアブド・アル・ラーマン・アル・ヌアイミ(Abd Al-Rahman al-Nuaimi)などである。 2013年12月18日、米国財務省はアルカーイダ支援活動により、ヌアイミをテロリスト指定した[65]。米国財務省によると、ヌアイミは「イラクのアルカーイダとカタールの寄付者を仲介して、イラクのアルカーイダに対する財政支援を手助けした」[65]

ヌアイミはイラクのアルカーイダに対する毎月200万ドルの資金移動を管理し、イラクのアルカーイダの上級将校とカタール市民の仲介者としての役割を果たしたと非難されている[65][66]。ヌアイミはアルカーイダのシリア使節団の団長アブハリド・アルスリ(Abu-Khalid al-Suri)との関係を楽しんでいたとも言われている。アブハリド・アルスリは2013年にアルカ?イダに対して60万ドルの送金を行った[65][66]。ヌアイミはアブド・アル・ワハッブ・ムハンマド「アブド・アル・ラーマン・アル・フメイカーニ」(Abd al-Wahhab Muhammad 'Abd al-Rahman al-Humayqani)とも関連していることが知られている。


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