アルカーイダの考え方では実行の分散化は認めるが、意思決定は集中化するように求めている[15]。しかし対テロ戦争後、アルカーイダの指導部は孤立した。その結果、アルカーイダの指導権は分散化され、組織は地域化されて幾つかのアルカーイダのグループに分かれた[16][17]。
多くのテロ専門家は世界的なジハード主義運動がアルカーイダの指導によって推進されているとは考えていない。しかし、ビン・ラーディンは死ぬ前にイスラーム過激派に対してかなりの思想的影響を及ぼしていた。専門家らはアルカーイダはいくつかの異なる地域運動に細分化しており、これらのグループは互いにほとんど関係がないと述べている[18]。
この見解は2001年10月のインタビューでにビン・ラーディン自身がタイシール・アッルーニーに対して行った説明とも類似している。この問題はある特定の個人に関するものではありませんし、アルカーイダという組織に関するものでもありません。私たちは預言者ムハンマドをリーダーとする1つのイスラーム国家の子供たちであり、私たちの主はただ1人、預言者もただ1人、キブラもただ1つ、国家もただ1つなのです……真の信者たちはみな兄弟です。ですから、状況は西洋人が思い描いているような、(アルカーイダなど)特定の名前を持つ組織が存在するということではないのです。その特定の名称(アルカーイダ)はとても古いもので、意図せずして生まれたものです。兄弟であるアブ・ウバイダ・アル=バンシリ
(英語版)は、悪質かつ傲慢で残忍で恐ろしいソビエト帝国と戦うため若者たちを訓練するための軍事基地を作りました。そしてその場所は訓練「基地」(アルカーイダ)と呼ばれるようになりました。そのようにしてこの名称は生まれ、成立したのです。私たちは(イスラーム)国家から独立した存在ではありません。私たちは1つの国家の子供たちであり、切り離せない一部なのです。そして極東から、フィリピン、インドネシア、マレーシア、インド、パキスタン、モーリタニアにまで広がる示威運動とも(切り離すことができない)……したがって、私たちが論じているのはこの国家における道徳なのです[19]。アルカーイダと提携している団体:
アラビア半島のアルカーイダ (AQAP)
インド亜大陸のアルカーイダ
アルカーイダと無関係な団体:
タハリール・アル=シャーム
カフカース首長国 (factions)
Fatah al-Islam[22]
イスラム聖戦連合[23]
ウズベキスタン・イスラム運動
ジャイシュ=エ=ムハンマド[24]
ジェマ・イスラミア [要出典]
ラシュカレトイバ[25]
Moroccan Islamic Combatant Group[26]
以前アルカーイダと提携していた団体:
アブ・サヤフ (2014年にイスラム国に鞍替え[27])
Al-Mourabitoun (2017年にJNIMと合流[28])
イラクの聖戦アル=カーイダ組織 (のちのイスラム国)
アンサール (ナイジェリア) (2015年に活動停止[29])
アンサール・アル・イスラム (2014年にイスラム国と合流)
アンサール・アッ=ディーン (2017年にJNIMに合流[28])
イエメン・イスラム聖戦 (のちのアラビア半島のアルカーイダ)