アリヤ・イゼトベゴヴィッチ
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1970年、イゼトベゴヴィッチは『イスラム宣言』(The Islamic Declaration)と題する声明書を発表した。このなかで、イゼトベゴヴィッチはイスラムと国家、社会に関する自身の見解を表明した。ユーゴスラビアの当局はこの宣言書をボスニアにおけるシャーリア法であるとの見解を示し、出版を禁じた[1]

後に、この宣言書はセルビア人の民族主義者によって戦争の口実として使われた。彼らは本書を引用し、ボシュニャク人がボスニアに、イランのようなイスラム国家を設立しようとしていると主張した[1]ボスニア紛争が続いた1990年代、宣言書がイゼトベゴヴィッチに反する立場の人々によって頻繁に引用されるようになってから、本書はイスラム原理主義の見解を示したものと見なされてきた[2]。こうした見解はジョン・シンドラー(John Schindler)等の一部の西側諸国の人々にも共有された[3]。しかし、イゼトベゴヴィッチはこうした見解を強く否定している[1]

イギリスの著者ノエル・マルコルム(Noel Malcolm)は、セルビア人民族主義者による本書に関する主張を「誤ったプロパガンダ」であるとし、本書を丁寧に読むことを薦めた[4]。マルコルムは本書を「政治とイスラムに関する一般的な指針を示したものであり、全てのイスラム世界に向けられたものである。これはボスニアについて述べたものではなく、ボスニアは本書では触れられてすらもない。…引用される箇所はいずれも、原理主義的なものではない」とした。マルコルムは、イゼトベゴヴィッチの視点は、後の著書『西と東のイスラム』(Islam between East and West)で熟考されて述べられているとし、そこで「彼はイスラムを、西ヨーロッパ諸国の価値を含む、精神的・理知的なジンテーゼとみなしている」とした。この功績により、1993年キング・ファイサル国際賞イスラーム奉仕部門受賞。

宣言書は現在も論争の的となり続けている。またイゼトベゴヴィッチの著書は二元論的であると指摘されている[5]
投獄

1983年4月、イゼトベゴヴィッチとその他の20人のボシュニャク人活動家、メリカ・サリフベゴヴィッチ(Melika Salihbegovi?)、エドヘム・ビチャクチッチ(Edhem Bi?ak?i?)、オメル・ベフメン(Omer Behmen)、ムスタファ・スパヒッチ(Mustafa Spahi?)、ハサン・チェンギッチ(Hasan ?engi?)はサラエヴォの裁判所で裁判にかけられた。「敵対行動」、特に「ムスリム民族主義に影響を受けた敵対活動」、「敵対活動を目的とした共謀」、「敵対的プロパガンダ」の容疑であった。とりわけ、起訴された者たちは「民族的に純粋なムスリムのボスニア・ヘルツェゴビナ」を創設することを目指していたとされた。イゼトベゴヴィッチは更に、イランでのムスリム会議に参加したことでも訴追された。彼らは全て有罪と認定され、イゼトベゴヴィッチは懲役14年を宣告された。有罪判決は、アムネスティ・インターナショナルヒューマン・ライツ・ウォッチなどの西側の人権組織から強く非難され、この事件は共産主義者によるプロパガンダに基づいており、起訴された者たちはいかなる暴力を使ったことも擁護したこともないとした[6]。続く5月には、ボスニア上級裁判所は、「被告の行動の幾らかは、犯罪活動としての性質を有さず」とし、イゼトベゴヴィッチの懲役を12年に減刑した。1988年、共産主義による統治が失墜すると、イゼトベゴヴィッチは恩赦を得て釈放され、ほぼ5年間に及んだ投獄生活を終えた。イゼトベゴヴィッチの健康状態はひどく害されていた[6]
大統領

1980年代の末、ユーゴスラビアに複数政党制が導入されると、1989年にイゼトベゴヴィッチとその他のボシュニャク人の活動会は、政治政党 民主行動党(Stranka Demokratske Akcije, SDA)を設立した。民主行動党はムスリム的特長を持っており、同様にボスニア・ヘルツェゴビナの他の民族、すなわちクロアチア人セルビア人も、それぞれの民族に基づいた政党を設立した。共産党そのものは民主改革党と改称した。イゼトベゴヴィッチ率いる民主行動党は選挙に勝利し、ボスニア・ヘルツェゴビナ全土で最多得票となる33%の票を集めた。それに続く第2党、第3党となったのは、それぞれセルビア人とクロアチア人の民族主義政党であった。大統領選挙では、ボシュニャク人の候補者のうちフィクレト・アブディッチ(Fikret Abdi?)が44%の票を得て1位となった一方、イゼトベゴヴィッチは37%の票を得て2位となった。ボスニア・ヘルツェゴビナ憲法によると、それぞれの「憲法上の主要民族(narod)」の上位2人の候補者が、多民族の7人からなる輪番制の大統領評議会に選ばれることになる(2人のボシュニャク人、2人のセルビア人、2人のクロアチア人、1人のユーゴスラビア人)。


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