アリゾナ (USS Arizona, BB-39) は、アメリカ海軍の戦艦。ペンシルベニア級戦艦の2番艦。艦名はアリゾナ州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目である。
1941年12月7日の真珠湾攻撃で九七式艦上攻撃機が投下した800kg爆弾が命中、艦前部の火薬庫が誘爆して爆沈した。1,177名の将兵が戦死した[注釈 2]。他の沈没艦はサルベージされたが、本艦は断念された。現在も湾の底に沈没状態で静態保存され、船体上にアリゾナ・メモリアルがある[3]。
艦歴戦艦「アリゾナ」(1931年)
1913年3月4日にアメリカ議会は超弩級戦艦にして標準型戦艦であるペンシルベニア級戦艦2番艦の建造を認可した。「アリゾナ」は1914年3月16日にブルックリン海軍工廠で起工し、1915年6月19日にアリゾナ州プレスコットの名誉市民であるW・W・ロスの娘のエスター・ロスによって命名・進水。1916年10月17日に初代艦長ジョン・ドナルド・マクドナルド大佐の指揮下に就役した。
1916年11月16日にニューヨークを出航した「アリゾナ」はバージニア岬とニューポートで整調訓練を行い、その後グアンタナモ湾に向かった。12月16日にノーフォークに向かい、タンジール・サウンドで砲撃及び水雷防御訓練を行った。1916年のクリスマス前日にブルックリン海軍工廠に帰港し、整調後のオーバーホールを行った。1917年4月3日にオーバーホールが完了。翌日ノーフォークに到着し、第8戦艦部隊に合流した。 1929年5月から、ノーフォーク海軍造船所で近代化改修を開始。砲門の交換・改良や甲板装甲の追加、カタパルトの改良、主機交換、浸水対策などが施された。 1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)、日本海軍の南雲機動部隊から発進した艦上機(総指揮官淵田美津雄中佐、赤城飛行隊長)により真珠湾攻撃が行われた[6]。太平洋艦隊の主力艦はフォード島に二列になって繋留されており[7]、その様子は「戦艦通り、戦艦桟橋、戦艦横丁」[8](Battleship Row
近代化改修
真珠湾攻撃真珠湾攻撃開始時、所在艦艇配置図。大爆発を起こした「アリゾナ」。同艦は真珠湾の艦艇群の中でも、もっとも被害が大きかった。[4]空襲後の戦艦横丁。「アリゾナ」は着底して重油が流出し[5]、空襲時に側にいた「ヴェスタル」と「ネバダ」は移動している。