アラン・ムーア
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それ以降の映画『コンスタンティン』(2005年)、『ウォッチメン』(2009年、ワーナー)、『ウォッチメン』(2019年、HBOドラマ)ではこの希望が守られ、ムーアへの原作料は替わりにコミックの作画家に支払われた[26][401][641]。2012年のインタビューにおいて、映画化に協力しなかったことで逃した金額を尋ねられたムーアは「少なくとも数百万ドル」と答え、こう続けた[642]。目の前で自分に値段をつけさせない、どれだけ金を積まれても一歩だって自己の原則を譲らない、たとえ実際上の意味がないとしても。そんな風に思える誇らしさは金では買えないからな。—アラン・ムーア(2012年)[642]

これらの態度は奇矯さや自我肥大の現れと見られることもある[643]。マーク・ヒューズは『フォーブス』誌への寄稿で、「リーグ」や Lost Girls で古典文学のキャラクターを借用しているムーアが自作の翻案については認めないのを完全な偽善と批判した[644]
政治的傾向ムーアの宿敵[645]マーガレット・サッチャー(2011年のグラフィティ)。

政治的にはアナキストを自認している[19]。ムーアは英国労働党による福祉国家政策が確立した1950年代に生まれ育ち[646]、若いころは自身の属する労働者階級に素朴な社会主義的理想を重ねていた[647]。社会主義のセンチメンタルなヒューマニタリアニズムは自然に受け入れられるものだった[648]。しかし1979年に保守党マーガレット・サッチャーが首相の座に就き、経済自由化を推し進めて平等主義を覆すと[649]、庶民がそれを支持したことに幻滅してアナキズムに傾いた[647]。サッチャーに対しては非常に批判的であり、80年代の主要作品で描かれるディストピアにはいずれもサッチャー政権への風刺が読み取れる[649]。90年代以降もサッチャリズムの遺産は新自由主義として残っているが、ムーアはそれにとどまらず、現代のマーケットで起きている芸術の商品化をサッチャー的なるものとして批判している[646]

1990年のインタビューで支持政党について聞かれると、アナキズムの理想は政党政治を通じて実現できるものではないが、それに向けた第一歩として、基本的な生活を保障するとともに自由競争を認める緑の党に期待すると述べた[650]2017年2019年の総選挙では、左派社会主義者ジェレミー・コービンが党首を務めていることを理由に労働党への支持を表明した[651][652][653]

ムーアはアナキスト作家を扱ったマーガレット・キルジョイ(英語版)の著書 Mythmakers and Lawbreakers(→神話作りと法律破り)(2009年)でアナキスト哲学を語っている。ムーアにとっては無政府状態こそが自然であり、体制秩序や指導者のような概念は不当なものだった[654]。あらゆる政体は無政府という基本状態の一種か、その派生だ。もちろんほとんどの人は、アナキズムを話題に出すと、最大のギャングが牛耳るようになるだけだからダメだ、と返してくるだろう。だが私に言わせればそれこそが現代社会そのものだ。我々が生きているのは発展の仕方を間違えた無政府状態であり、最大のギャングが政権を握って、これはアナキズムではなく資本主義だとか共産主義だとか言い張っているのだ。しかし私は、人間がその手で営む政治形態としては無政府状態がもっとも自然だと考えている。—アラン・ムーア(2009年、 Mythmakers and Lawbreakers)[655]

ムーアはアナキズムの基礎に「完全な自己責任と、自主独立の尊重」を置いている[654]。80年代にメインストリーム・コミック出版社が年齢レイティング制と制作者へのガイドラインを導入しようとしたときには、あらゆる形式の表現規制に反対する立場をとった[656]。評論誌『コミックス・ジャーナル』のインタビューでは、子供がハードコア・ポルノに触れることにさえ、法的規制という対処法をとるべきではないと語った[656][657]。ムーアは性差別表現や『G.I.ジョー』のような戦争賛美的な作品は個人的なモラルに反すると言っている[658]。しかしそれらを規制したり、ゾーニング・包装・レイティング表示などの手段で子供の手から遠ざけるのではなく、自身の信条を伝える優れた表現によってマーケットから淘汰するのが理想なのだという[658]
魔術と芸術論[『ウォッチメン』と『フロム・ヘル』を書いた後で] 理詰めの創作については理解の限界に達した気がした。その先に進むためには理性を超える一歩が必要に思えた。次の一歩の足場となってくれる唯一の領域が魔術だった。…『ウォッチメン』を何度も繰り返せないことは分かっていたし、それと同じくらい、『フロム・ヘル』をいくらでも繰り返せることも分かっていた。—アラン・ムーア(2003年)[18]

1993年、40歳の誕生日に魔術師になると宣言した[659]。独学で魔術を学び始めるきっかけとなったのはフリーメイソン神秘学シンボリズムを大きく扱った『フロム・ヘル』だった[18][600]。魔術が言語芸術の延長線上にあることを見出すにつれて、創作についての疑問への答がそこにあると考えるようになった[660]。ムーアによると魔術と芸術はいずれも象徴を用いて他者の意識を変える行為であり、個人を変えることによって世界を変革することができる[661]。実際、魔術は人類の歴史の中で絵画や文学と同じ役割を果たしてきたのだという[18]

ムーアは魔術を軸にして言語、芸術、集合的想像力についての考え方を再構成し[115]、キャリア後半の執筆活動を支える思考の枠組みとした[320]


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