アラン・ムーア
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Lost Girls は Taboo 廃刊後に出版の当てがないまま書き続けられ、2006年に完成するとトップシェルフ(英語版)から刊行された[259](作画のメリンダ・ゲビーとムーアはその翌年に結婚した[26])。児童ポルノと受け取られうる内容を含むものの、おおむね芸術的価値が認められて各国で出版・販売が実現し、高い評価を得ている[260]。同年にムーアはポルノグラフィの歴史をたどる論説を発表し、社会の活力は性的な寛容さによって決まると論じて公の評価に耐える新たなポルノの必要性を訴えた[261]。このテーマは2009年の評論本 25,000 years of Erotic Freedom(→性の自由の2万5千年史)に発展した[262]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

Lost Girls の主人公の一人、アリス不思議の国のアリス)は厭世的な同性愛者の老貴婦人として登場する[255][263]

中流階級出身のウェンディピーター・パン)は家庭の主婦になっている[255][263]

エネルギーに満ちた田舎育ちのドロシーオズの魔法使い[255][263]

1996年には初の小説本 Voice of the Fire(ビクター・ゴランツ刊)が出た。紀元前4000年から現代までの出来事を描いた短編連作で、時代は異なれどすべてムーアの生地ノーサンプトンが舞台となっている[264]。言語や文化の発展を再現した実験的な語り口で書かれており[264]、全体として想像力と「幻視」が私たち自身をどのように形作ってきたかについてのストーリーとなっている[265]
メインストリーム復帰とイメージ・コミックス: 1993年?1998年

ムーアは1993年にメインストリーム・コミックに復帰して再びスーパーヒーロー作品を発表し始めた[163]。その意図としては、自身の脱構築的アプローチが低質なエピゴーネンを生み出したことに責任を感じ、コミックに「喜びと純真さ」を取り戻そうとしたのだと語っている[163]。しかし衆目の見るところによると、前言を翻した理由には経済的なものもあった[266]。個人資産を投入した出版社マッドラブは Big Numbers の挫折と共に活動を停止していた[238]。社名の由来となったムーア夫妻ら3人の恋愛関係も数年しか続かなかった[267]。フィリスとデボラは娘たちを連れて2人で新しい生活を始め、1980年代の作品で稼いだ財産のほとんどを持ち去っていった[115][268]。このころムーアは魔術と神秘思想に傾倒し始めたが(後述)、自身ではそれを「ミッドライフ・クライシスから目を逸らすため」のようにも語っている[269]イメージ社の人気キャラクター、スポーン(写真)は地上に送り込まれた地獄の尖兵であり、「グリム・アンド・グリッティ」の風潮の典型だった[270]

寄稿先のイメージ・コミックスは当時ブームの真最中だった。同社は暴力描写・女性の性的対象化といった作風[271]、作画重視・マーケティング重視の方針で知られており、ムーアのような「文学的」コミックを称揚する批評家からは評価が低かった[272]。しかしクリエイター主導で設立された新会社ということもあり、著作権や創作上の自由についての方針はムーアにとって賛同できるものだった[273][274]。ムーアはまず10万ドル+印税という破格の報酬で『スポーン』第8号(1993年)のゲスト原作者を務め[275][注 32]、同年にオリジナル作品『1963(英語版)』[注 33]全6号を出した。60年代のマーベル・コミックス作品のパスティーシュ[276]、後に一般的になるスタン・リーパロディの先駆けだったが[277]、ムーア自身が生み出したシリアスでダークなスーパーヒーロー像の全盛期でもあり、こうした路線はファンの支持を得られなかった[274][278]。ムーアは後にこう語っている。… 私がいなかった間にコミック読者がどれほど変わったか気づいた。突然、読者の大半が読みたがっているのはページ全体がピンナップ風になったストーリー皆無のやつだと思えてきた。そこで、そういうマーケットに向けてまともな作品を書くことができるか純粋に試してみようと思った[279]

ムーアは13歳から15歳向けの、平均よりはましな作品の執筆を始めた。『スポーン』の派生作『バイオレーター(英語版)』(1994年)、『バイオレーターvsバドロック(英語版)』(1995年)、『スポーン: ブラッド・フュード』(1995年)はその例である[280]。これらの作品は評者によってバカバカしいエクスプロイテーション・コミックでも風格を保っているとされることもあれば[281]、[当時の読者には] ムーアの感覚が鈍ったように見えたことだろうという評価もある[282]


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