アラン・ムーア
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インディペンデント紙日曜版は2006年の Lost Girls 出版時に「英語圏における最初の偉大な現代コミック作家」と紹介し[489]ガーディアン紙は2019年の引退に際してもっとも重要な英語のフィクション作家のひとりとした[16]。2005年に『タイム』誌が選出した「1923年から現在までの小説100選」には漫画作品として唯一『ウォッチメン』が挙げられた[490][491]

実作者の評を見ると、原作者・映画脚本家のJ・マイケル・ストラジンスキーはムーアを我々の中で一番上手いと言っている[492]。ホラー小説家ラムジー・キャンベルはムーアの科白のセンス、簡潔明瞭なストーリーテリングの才能、ペース配分とタイミングの確かな感覚がコミック文化の最良の部分を受け継ぐものだと書いた[493]。日本の直木賞作家真藤順丈はストーリーテリングが神業の域と書いており[494]、ホラー小説家澤村伊智もお話が滅茶苦茶うまいとしている[495]。DCコミックスでの担当編集者カレン・バーガーは[作品に] 私が手を入れる部分はなかった。… [クリエイターには] アランとそれ以外しかいない。アランは一人だけ別の階級にいたと語った[496]。その一方で原作者グラント・モリソンは、ムーア作品は技巧が勝ち過ぎて自己顕示欲さえ感じると述べている[497]。またコミック界にはムーアのジャンル脱構築を歓迎しない者もいた[498]。ムーアより先にDCとマーベルで人気作家となっていた漫画家ジョン・バーン(英語版)は、『ウォッチメン』におけるスーパーヒーローの描写が否定的、虚無的すぎると述べている。また歴史あるヒーローキャラクターが暴力によって障害を負う『キリングジョーク』を自己満足のマスターベーションと呼んだ[499]

学問としてのコミックス・スタディーズでももっとも頻繁に言及されるクリエイターのひとりであり、そもそもコミックが学術研究に値するという考えが一般化したのは『ウォッチメン』などの功績だとみなされている[500]。しかし分野の歴史が浅いこともあり、コミック研究のカノン(正典、名作)としての位置づけが定まっているとは言えない[501]。2000年代以降の再評価では、ムーアが独自のスタイルを持つ手練れの作家に過ぎず、それまでの偶像化が行き過ぎだったという指摘も現れた[502]。クリークマーは、コミックというメディアがムーアによって芸術的に「高められた」というファンの見方は素朴すぎるものだと述べている[503]。バート・ビーティとベンジャミン・ウーはムーアが中程度の教養の象徴だと述べ、良質のコミック作品に過ぎないものがコミックの進歩の上限として扱われてきたと主張した[504]。また同時期にムーア作品におけるレイシズムミソジニーの扱いに対する批判も目立ってきた[348]
米国コミック史における位置づけ

ムーアのキャリアはコミック界におけるオーサーシップ(著者性)観の変遷と密接に関わっている[505]。米国コミックの伝統では作品のオーサーシップを担うのは出版社であり、クリエイターは制作のために雇われるだけの存在だった。コミックブックが読み捨ての娯楽だという一般の見方もその状況を反映していた[506]。しかし1970年代に至るとコミックファンダムが成熟し、ブランドやキャラクターではなく個々の作家に注目する読者も現れ始めた[507]。また業界内でも制作者の権利拡大を訴える労働運動が起こった[507]。これらが相まって個人のヴィジョンと感性をオーサーシップの中心におく作家主義が生まれた[507][注 49]。読者の嗜好の変化を知ったメインストリーム出版社は、熱心なファンの多い専門店マーケット向けにスター作家を擁立するようになった。その最初の世代がムーアやフランク・ミラーらであり[509][510]、中でもムーアは作画家ではなく原作者に注目を集めさせたことで特筆される[511][512]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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