アラン・ムーア
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中流階級出身のウェンディピーター・パン)は家庭の主婦になっている[255][263]

エネルギーに満ちた田舎育ちのドロシーオズの魔法使い[255][263]

1996年には初の小説本 Voice of the Fire(ビクター・ゴランツ刊)が出た。紀元前4000年から現代までの出来事を描いた短編連作で、時代は異なれどすべてムーアの生地ノーサンプトンが舞台となっている[264]。言語や文化の発展を再現した実験的な語り口で書かれており[264]、全体として想像力と「幻視」が私たち自身をどのように形作ってきたかについてのストーリーとなっている[265]
メインストリーム復帰とイメージ・コミックス: 1993年?1998年

ムーアは1993年にメインストリーム・コミックに復帰して再びスーパーヒーロー作品を発表し始めた[163]。その意図としては、自身の脱構築的アプローチが低質なエピゴーネンを生み出したことに責任を感じ、コミックに「喜びと純真さ」を取り戻そうとしたのだと語っている[163]。しかし衆目の見るところによると、前言を翻した理由には経済的なものもあった[266]。個人資産を投入した出版社マッドラブは Big Numbers の挫折と共に活動を停止していた[238]。社名の由来となったムーア夫妻ら3人の恋愛関係も数年しか続かなかった[267]。フィリスとデボラは娘たちを連れて2人で新しい生活を始め、1980年代の作品で稼いだ財産のほとんどを持ち去っていった[115][268]。このころムーアは魔術と神秘思想に傾倒し始めたが(後述)、自身ではそれを「ミッドライフ・クライシスから目を逸らすため」のようにも語っている[269]イメージ社の人気キャラクター、スポーン(写真)は地上に送り込まれた地獄の尖兵であり、「グリム・アンド・グリッティ」の風潮の典型だった[270]

寄稿先のイメージ・コミックスは当時ブームの真最中だった。同社は暴力描写・女性の性的対象化といった作風[271]、作画重視・マーケティング重視の方針で知られており、ムーアのような「文学的」コミックを称揚する批評家からは評価が低かった[272]。しかしクリエイター主導で設立された新会社ということもあり、著作権や創作上の自由についての方針はムーアにとって賛同できるものだった[273][274]。ムーアはまず10万ドル+印税という破格の報酬で『スポーン』第8号(1993年)のゲスト原作者を務め[275][注 32]、同年にオリジナル作品『1963(英語版)』[注 33]全6号を出した。60年代のマーベル・コミックス作品のパスティーシュ[276]、後に一般的になるスタン・リーパロディの先駆けだったが[277]、ムーア自身が生み出したシリアスでダークなスーパーヒーロー像の全盛期でもあり、こうした路線はファンの支持を得られなかった[274][278]。ムーアは後にこう語っている。… 私がいなかった間にコミック読者がどれほど変わったか気づいた。突然、読者の大半が読みたがっているのはページ全体がピンナップ風になったストーリー皆無のやつだと思えてきた。


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