マーベルUK(英語版)では1980年から翌年にかけて『ドクター・フー・ウィークリー(英語版)』や『スターウォーズ・ウィークリー』に短編をいくつか書いた。それらのシリーズに関心がなかったため、内容は自己流だった[109]。やがて『マーベル・スーパーヒーローズ(英語版)』誌の連載「キャプテン・ブリテン」を任され(1982年)、前任者デイヴ・ソープが始めたストーリーを完結させた[110][注 10]。ガイ・フォークスは『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公「V」の外見的・思想的モデルとなった。
2000 AD とマーベルUKの編集に関わっていたデズ・スキン(英語版)が1982年に創刊した月刊誌 Warrior は[111]、原稿料が低い代わりに執筆者と作品の著作権を共有したり(他誌では著作権買い切りが一般的だった)[112]、作家の書きたいものを書かせる方針を取っていた[113][注 11]。ランス・パーキンによるとムーアが原作者として本領を発揮するようになったのは Warrior 誌からである[114]。ムーアが創刊号で始めた二つの連載はテーマと形式の両面で革新的なものだった[115]。『Vフォー・ヴェンデッタ』[注 12]は近未来の英国に舞台を取ったディストピア・スリラーで、アナキストの主人公はガイ・フォークスの装束をまとい、テロによって政府を打倒しようとする。当時の英国首相マーガレット・サッチャーに対するムーアの失望を反映した作品で[19]、ムーアの文学志向が現れた最初の作品でもあった[116]。もう一つの連載『マーベルマン』[注 13]は英国で1954年から1963年にかけて刊行されていた同題作品のリブートで、オリジナル版は米国の『キャプテン・マーベル』を焼き直しただけのヒーロー物だった[118]。原作を依頼されたムーアはキッチュな子供向けのキャラクターを1982年の現実世界に置くことを決め、科学と進歩への牧歌的な信頼から生まれた主人公を核テロと直面させた[119]。この作品に込められたリアリズム、ジャンル脱構築、詩的なナレーションといった手法は後世のスーパーヒーロー・ジャンルに巨大な影響を与えることになる[120]。遅れて始まった3つ目の連載 The Bojeffries Saga(→ボージェフリー家のサガ)[注 14]はイングランドの労働者階級として暮らす吸血鬼や狼男の一家が主人公のコメディで、ムーア自身の子供時代が投影されている[121][122]。視覚的ギャグを連発する『MAD』の作風から離れて性格喜劇を狙った作品である[123]。これら3作には共通してゴシックでダークな感覚や、ジャンルやメディアの越境といった要素が現れていた[116]。
ムーアは1980年から1983年まで 2000 AD 誌の短編を仕事の主軸の一つにしていたが[124]、同誌から連載を任されたのはかなり遅かった[125]。最初の企画は映画『E.T.』を模倣しろというものだった。ムーアは反発心から実際の映画を見ることなく原作を書いたと語っている[126]。出来上がった Skizz(1983年)[注 15]は不時着した異星人が地球人の少女に助けられる物語だが、ポスト工業化時代の失業問題と社会的混乱が背景にされていた[127]。