アラン・ムーア
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ムーアはポップカルチャーで引用されることが多く[13][14]、文芸家や映像作家への影響も大きいことで知られている[15][16]。奇人としても有名である[17]神秘主義者[18]、儀式魔術師(英語版)、アナキスト[19]でもあり、作品の多くでこれらのテーマを扱っている。神秘学関連の前衛的スポークン・ワード公演を行うこともある。自作のハリウッド映画化には否定的だが、その意思に反して『フロム・ヘル』(2001年)、『リーグ・オブ・レジェンド』(2003年)、『Vフォー・ヴェンデッタ』(2005年)、『ウォッチメン』(2009年)などが公開されるに至っている。
来歴
生い立ち: 1953年?1978年ムーアはノーサンプトン(写真)の貧しい地区で生まれ育ち、高校をドロップアウトした。
[20歳前後のころ] ずっと自分は特別なんだ、重要な人間なんだと思っていた。… 自分の状況がどれほどひどいか分かっていなかった。とにかくなんとしても社会に報復するという考えがあった[20]

1953年11月18日、ノーサンプトンに生まれる[21]。共に暮らす家族は醸造所に勤める父アーネストと印刷労働者の母シルヴィア、弟、そして迷信深いが威厳あるヴィクトリア朝風の女家長[22]こと母方の祖母だった[23]労働者階級の一家は17世紀以前から代々当地に住んでいた[24]フレスコ画を生業にしていた父方の曾祖父は放蕩家で[25]、パブでカリカチュアを描いて支払いの代わりにしていたという[26]。しかしムーアの両親の代には芸術や文学とは無縁だった[27]

ムーアの生家は屋外便所の古い建物だったが、電気が通っているだけ恵まれている方だった[28]。ノーサンプトンの「バロウズ[注 4]」地区は英国でも有数の貧困地域で[29]、識字率が低く公共サービスも乏しかったがその住民とコミュニティには愛着を持った[30]。幼いムーアは金銭的な豊かさより優先すべきものがあると教えられた[26]コミックス・スタディーズ研究者ジャクソン・エアーズは[31]、ムーアは労働者階級の育ちを通じて共同体主義、個人の対等、自主自律の感覚をバランスよく身に着けたと書いている[32]

5歳で読むことを覚え、地元の図書館に通った[33]。高度な教育を受けなかった両親も息子には読書を勧めた[34]。ムーアはSF、魔術、ファンタジー神話伝説のように現実から離れたジャンルを好んでいた[35]。初等学校に入学するころコミックを読み始めた[36]。The Topper や The Beezer のような英国の週刊コミック誌を手始めに、やがて貨物船の底荷として米国から流れてくる『フラッシュ』『ディテクティヴ・コミックス』『ファンタスティック・フォー』などを漁るようになった[37]。労働者階級の現実から一歩も出ない英国コミック誌に比べて[38]、米国のヒーローコミックに描かれる大都市は未来世界のように見えた[39][40]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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