アラン・ムーア
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Roscoe Moscow が終わるとSFパロディ The Stars My Degradation(→わが落ち行くは星の群[注 8])(1980年?1983年)が後を引き継いだ[87][88]。基本的にムーアが一人で描いていたが、連載の終盤は多忙になったためスティーヴ・ムーアに原作を任せた[3]。この時期の作品は英国アンダーグラウンド・コミックの伝統に沿っており、労働者階級の卑俗な視点から権威や良識に対抗するというものだったが[89]、Sounds 連載作には後の作品にも通じる自己言及性や凝ったコマ割りがすでに見て取れる[90][91]

1979年から地方紙 Northants Post でコミックストリップ Maxwell the Magic Cat(→魔法の猫マクスウェル)を描き始めた(筆名 Jill de Ray)[92][93]。「子供向けに」という編集者の注文に応じたシンプルな絵柄の5コマ漫画だが、政治的テーマや、コマ漫画の構造をネタにした実験的なユーモアが紛れ込むことがあった[38][94]。この作品はムーアにとって地元の気楽な仕事であり、原作者として大成した後の1986年まで連載を続けていた[95]

これらの活動を通して、自身の作画の才能に見切りをつけて原作に専念すべきだと考えるようになった。画力不足を点描で補っていたため原稿を量産できなかったことも大きかった[96]。原作スクリプト(脚本)の書き方はスティーヴ・ムーアから教わった[97]。執筆先としてシニカルなSFで人気があった 2000 AD 誌[98][注 9]に狙いを定め、人気連載「ジャッジ・ドレッド(英語版)」のスクリプトを書いて投稿した。同作はオリジナルの原作者ジョン・ワグナー(英語版)が書いていた時期で、新人の原稿は求められていなかったが、副編集長アラン・グラント(英語版)は投稿作に将来性を見て取った[100]。ムーアはグラントに示唆されて投稿を続け、定期的に読み切りが掲載されるようになった[101]。同誌の Future Shocks はひねりを利かせたSF短編が掲載される連載枠で[102]、多くのコミック作家が修業時代に携わったことで名高く[103]、ムーアも後にストーリーの組み立て方を学ぶにはこの上ない教育だったと回想している[104]
英国コミック界での活動、2000 AD と Warrior : 1980年?1986年

ムーアは1980年から1986年まで英国コミックの原作を書き続けた[105]。それらはギャグからシリアスまで幅広かったが一貫した作家性を感じさせ、同時代の原作者の中ですぐに頭角を現した[106]。英国でコミックブック文化が成熟していく時期であり[107]、伝記作家ランス・パーキン(英語版)は英国のコミックシーンはかつてないほど盤石になり、読者が歳を重ねても卒業していかないのは明らかだった。コミックはもはや小さい男の子だけのものではなく、ティーンも … 読むようになっていたと書いている[108]

マーベルUK(英語版)では1980年から翌年にかけて『ドクター・フー・ウィークリー(英語版)』や『スターウォーズ・ウィークリー』に短編をいくつか書いた。それらのシリーズに関心がなかったため、内容は自己流だった[109]。やがて『マーベル・スーパーヒーローズ(英語版)』誌の連載「キャプテン・ブリテン」を任され(1982年)、前任者デイヴ・ソープが始めたストーリーを完結させた[110][注 10]ガイ・フォークスは『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公「V」の外見的・思想的モデルとなった。

2000 AD とマーベルUKの編集に関わっていたデズ・スキン(英語版)が1982年に創刊した月刊誌 Warrior は[111]、原稿料が低い代わりに執筆者と作品の著作権を共有したり(他誌では著作権買い切りが一般的だった)[112]、作家の書きたいものを書かせる方針を取っていた[113][注 11]。ランス・パーキンによるとムーアが原作者として本領を発揮するようになったのは Warrior 誌からである[114]。ムーアが創刊号で始めた二つの連載はテーマと形式の両面で革新的なものだった[115]。『Vフォー・ヴェンデッタ[注 12]は近未来の英国に舞台を取ったディストピア・スリラーで、アナキストの主人公はガイ・フォークスの装束をまとい、テロによって政府を打倒しようとする。当時の英国首相マーガレット・サッチャーに対するムーアの失望を反映した作品で[19]、ムーアの文学志向が現れた最初の作品でもあった[116]。もう一つの連載『マーベルマン[注 13]は英国で1954年から1963年にかけて刊行されていた同題作品のリブートで、オリジナル版は米国の『キャプテン・マーベル』を焼き直しただけのヒーロー物だった[118]。原作を依頼されたムーアはキッチュな子供向けのキャラクターを1982年の現実世界に置くことを決め、科学と進歩への牧歌的な信頼から生まれた主人公を核テロと直面させた[119]。この作品に込められたリアリズム、ジャンル脱構築、詩的なナレーションといった手法は後世のスーパーヒーロー・ジャンルに巨大な影響を与えることになる[120]。遅れて始まった3つ目の連載 The Bojeffries Saga(→ボージェフリー家のサガ)[注 14]はイングランドの労働者階級として暮らす吸血鬼狼男の一家が主人公のコメディで、ムーア自身の子供時代が投影されている[121][122]


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